13.              
 
 
 
           「…利はないだろう」
 
           「死なば諸共ってやつじゃないのかね。『夜の娘』を消せばいずれ共倒れだ」
 
           「政治利用をしようにも、屍では役に立ちませんしね」
 
           調理用の火を囲んで3人が未だ正体のわからぬ敵の推考を始めてから数時間は経っ
 
           たか。
 
           簡素な携帯食とは言え、そこそこ腹も膨れ、運動不足の体に過剰の無理を強いたヒ
 
           ナにとって子守歌にも等しい理解不能なやりとりは辛かった。
 
           この世界の権力構造も、自分の利用価値もわからない彼女には、全く意味不明な会
 
           話で、取り敢えず死にたくない程度の意見しか言えないから、仲間にはいることも
 
           できない。
 
           もしかして、夜の有無が死活問題なのは庶民だけで、高貴な身分におられる方々は
 
           意外に何ともないんじゃないかなとも思ったりしたが、口にしたらとくとくと夜の
 
           必要性を諭されそうだから、賢明にも黙ってた。
 
           しかして、無為に睡眠時間を削りながらのんびり運行する『眠りの太陽』を眺めて
 
           いたのだが、いい加減限界が近い。
 
           「あたし、寝てもいい?」
 
           声が途切れるのを待って遠慮がちに訊ねると、まだ起きていたのかとばかりに邪険
 
           にあしらわれた。
 
           「どうぞ?」
 
           議論を中断する気のない2人と違い、ディールだけは持ち上げた外套でヒナの寝床
 
           を示すと、微笑みまで見せてくれる。
 
           共に眠ったあの日以来、薄闇と安心を与えてくれる彼の腕の中はお気にいりとなっ
 
           ていた。
 
           「うん」
 
           いそいそと彼の懐に移動しながら、いつか絶対ヘリオとラダーに報復を誓って、彼
 
           女は回復の眠りに吸い込まれていくのだ。心地より温もりと闇、胸を介して響く声
 
           がゆらり揺れるゆりかごを連想させる中で。
 
           「…犬猫のようだな」
 
           微睡みに引き込まれようとしていた意識が、ヘリオの呆れ声を捕まえる。
 
           「隷属の糸は必要ないように思うがね。すっかり懐いてるじゃないか」
 
           引き結んだ唇に尚力を込めさせるのは、揶揄を含んだラダーの笑いだ。
 
           「そうでもないですよ。ヒナにとっては安全なベッドくらいの認識でしかありませ
 
            んからね。それに…」
 
           言葉を切ったディールに呼応して、刺すほどの沈黙と緊張が周囲を占める。衣擦れ
 
           の音まで響きそうな静寂は、半分意識を飛ばしていたはずのヒナまで現実に引き戻
 
           す不気味さで、見えない恐怖に怯えた彼女は外套を除けようと指を伸ばした。
 
           「そのままでおいでなさい」
 
           外気に触れる直前、優しい囁きと手がヒナを押しとどめる。
 
           反面、固く引き絞られた筋肉も張りつめた空気も、少しもディールから消えないか
 
           ら、わかってしまった。
 
           なにか、いる。いや、正確には誰かだろうか。
 
           指一本分ほど空いた隙間から見渡す限り、周囲にはまばらな枯れ木があるだけで、
 
           なんの気配も感じられない。
 
           「敵に命を狙われるこのような刻限、私の懐は安全だと思いますよ」
 
           通る声を合図に、ヘリオが鞘を捨てラダーが小声の詠唱を始めた。
 
           立ち上がった3人に習って外套の中、ゆっくりヒナが体を起こすとすかさずディー
 
           ルが肩を抱く。
 
           交わした視線で確認した気配は3つ。
 
           殺気を押さえることなくこちらの動きを追っている者、術師特有の魔力を漲らせた
 
           者、そのどちらをも持たぬと言うのに誰より不穏な気を発する者。
 
           「ふふ、そういきり立たないで下さいな」
 
           どういった仕掛けか、腕一本見えなければ上出来であろう木陰から次々男が現れた。
 
           大きな体躯を鎧のような筋肉が覆い、顔の上半分を奇妙な細工の面で隠し、ヘリオ
 
           に勝るとも劣らぬ大剣を下げた男が始めに。
 
           明らかに女物とわかる派手な薄物を幾重にもはおり、長く伸ばした髪の先に無数の
 
           宝石を散らし、あまつさえ化粧までしたひょろりと長い男が次に。
 
           そして最後に、4人が息を飲む男が優雅に腰を折りながら現れた。
 
           「はじめまして、ヘリオ・ロイ殿下。『夜の娘』探索、お疲れ様でございました」
 
           慇懃に述べるのに、口元を彩る微笑みが嘲笑に見えるのは何故なのだろう。
 
           なにより、この男の風貌は。
 
           「え、ディール…?」
 
           瞠目して息を飲んだヒナの唇から、思わず声が滑り落ちる。
 
           長い黒髪をこぼしながら、輝くと表現するが相応しい白磁の肌をして、ディールを
 
           模した男が立っていた。
 
           鏡のあちらとこちら側、光と闇、色を反転して、同じ目鼻立ちの。
 
           「残念ながら、私は彼ではありません。よく似ていても全くの別人」
 
           驚きに顔を覗かせた少女に視線を据え、皮肉に唇を歪める男は、では何者なのだ。
 
           「双子の兄弟…?」
 
           「それも、違う。関わりがないと言ったでしょ?彼と私を繋ぐものはなにもない」
 
           薄気味悪いほど似ているのにもしやドッペルゲンガーなのかと言うセリフを、ヒナ
 
           はすんでのところで飲み込む。
 
           言葉が通じるから忘れがちだが、その表現がこの世界にあるのか甚だ疑問だ。
 
           なにより、気になる事があった。
 
           深海を思わすディールの瞳と、目の前の男の持つ瞳の色が同じだったから。
 
           髪も肌もモノトーンの色違いなら、目だって反対の、例えば深紅にでもならなけれ
 
           ばおかしくはないだろうか。
 
           どうして、内に宿す深い闇まで一緒なのだ。
 
           「気味が悪いことだ。真の目的がわからん上、罪人の容姿まで真似る」
 
           ヒナの物思いを打ち破って、剣先を敵に突きつけたヘリオが皮肉った。
 
           「『夜の娘』を殺しに来たのだろ?呑気にお話している暇があったら、さっさと行
 
            動に移っちゃどうだね」
 
           掌に余るほど濃度の高い光球を捧げて、ラダーは派手な魔術師にターゲットを決め
 
           たようだ。
 
           「まっ…!」
 
           「やれやれ、名前くらい名乗らしてほしいな。ボクはバートラ、はじめまして老い
 
            ぼれ魔女さん」
 
           「マカラ、参る!」
 
           制止しようと上げかけた声は、バートラ、マカラに阻まれ、既に戦闘が始まってし
 
           まってはヒナには止めようもない。
 
           「少し離れていて下さい」
 
           ディールでさえも、かの男と対峙するため彼女を遠ざけようとする。
 
           「ちょっと、待って!どうしていきなりケンカはじめちゃうのよ。話し合いとか穏
 
            便な方法は全部却下なの?!」
 
           背後に押しやろうとする手をすり抜けて、2人の男の間に飛び出したヒナは交互に
 
           色違いの顔を見やった。
 
           僅か前までは穏やかに会話が続いていたではないか。相手に友好を結ぼうという気
 
           が、これっぽっちもなかったとしてもうまくいけば目的の一つや二つ聞き出せる筈
 
           だと、ヒナは思ったのだ。
 
           「これは、殺し合いですよ?甘いことを言っていては、あなたが死ぬんですよ」
 
           責めるでない穏やかな口調であったが、ディールの声には明らかに諭す響きがある。
 
           ヴェンダの時にも彼女は争いから逃げようとしてひどく怒られてのを覚えていた。
 
           やらねばやられるという理屈はわかるが、その度流される血や消えてゆく命を思え
 
           ば、簡単に納得はできないのだ。僅かでも道があるならさぐりたい。
 
           問いかけを視線に乗せて訴えたのに、ディールは無情に首を振った。
 
           「心配はありません。私はこれでも穏健なんですよ。『夜の娘』は殺しません」
 
           ところが背後から投げられた男の言葉は、きっぱりその可能性を否定して笑う。
 
           希望を瞳に宿して振り向いたヒナに、とろける微笑みを送って彼はうっとりと表情
 
           を歪めた。
 
           「奪った玉を雁字搦めに戒めたあなたの前に置いて、崩れゆく世界を眺めましょう。
 
            ほんの少し先にある希望に触れることもできず、無力を嘆きながら終焉を迎える、
 
            ぞくぞくするほどステキだと思いませんか」
 
           陶酔する男に感じるのは、震えが走るほどの恐怖だけで、ヒナは知らず後退る。
 
           状況を想像するのもイヤだが彼は滅びを共に迎えようと、食い止めることのできる
 
           崩壊をなんの手だても講じず待ちわびようと言っているのだ。
 
           「ねえ、お嬢さん。あなたは一目惚れを信じますか?私は先程まで愚かな思いこみ
 
            だとバカにしていたんですがね、ふふ、考えを改めました。罪人の欲するものを
 
            私も欲する、タチの悪い冗談ではなかったんですね」
 
           ギラリと嫌な光りを放つ深海の瞳に縛され、ヒナの動きは止まる。
 
           ディールが全身を絡めた人外の力に似ていたけれど、異なる故の怯えを彼女に抱か
 
           せたのは浅くなる呼吸だった。
 
           大きく吸い込んでも、肺が膨らまず必要量の酸素が取り込めない。浅く苦しい喘ぎ
 
           を何度も繰り返して救いを求める視線を彷徨わせる。
 
           「ディ…っ!」
 
           鋭く発した一字と、濃い闇が男を襲うのは同時だった。
 
           「ヒナ!!」
 
           僅か一歩の距離をディールが詰めるより早く、ヒナの体は引き寄せられなぎ倒され
 
           る。
 
           「苦しければあの男ではなく、私をお呼びなさい。セジューですよ。ほら、早く」
 
           肩に魔力が掠めた傷が口を開けているというのに、男−セジュー−は顔色一つ変え
 
           ることなく、腕の中のヒナに奇妙な命を下していた。
 
           「離しなさい!!」
 
           ぎょっとするほど巨大な魔力を掌に生み出して、きつく睨み据えるディールも本当
 
           は手出しができず二の足を踏んでいる。
 
           ヒナの唇が次第に色を失っているから。彼女の命がセジューの手に握られているか
 
           ら。
 
           浅い呼吸で命を繋いでいるものの、全身を石に変えられていくかのように指先に感
 
           覚がなくなっている。低酸素に目の裏で火花が散り、視界がハレーションをお越し
 
           はじめた。
 
           「早く呼ばないと、死にますよ?ああ、でも冷たくなっていくあなたを抱いている
 
            のもいいですね」
 
           いっそ意識を失ってしまえれば楽なのに。
 
           残酷なまでに甘い瞳に呪縛されながら、ヒナは命の危険を本気で感じた。
 
 
 
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