12.              
 
 
 
           泣き落とし、とまで大げさな手は使わなかったが、取り敢えず赤ん坊のように抱き
 
           かかえられて運ばれるのだけはイヤだと、誠心誠意だだをこねたら理解は得られた。
 
           疲れたり限界だと感じたら、必ずディールを頼る条件付きで。
 
           だから、どんなに困難でくじけそうでも決して弱音は吐かない…いや吐けないとヒ
 
           ナは黙って静かに体力を温存しつつ歩いていたのだが、休みなく体感で3時間は過
 
           ぎた頃、元来ひ弱で軟弱な精神が音を上げた。
 
           「一体いつまで続くの、この道は!」
 
           ふもとからずっと、登りっぱなしである。
 
           つまりそれは頂上に着いていない、半分も来ていないという証拠で、生まれてこの
 
           方、文明社会の恩恵に与りっぱなしのヒナには果てしない苦行に他ならない。
 
           せめて景色でも見えたら晴れやかな気分になることもあるだろう。
 
           しかし、右も左も前も後ろも見渡す限り木。しかも皆一様に枯れて、そこはかとな
 
           い侘びしさを漂わせている。
 
           それではと、眼下に荘厳な風景を期待してはいけない。終焉が近い世界だと言うだ
 
           けあって、赤茶けた大地と歯抜けのようにぽつりぽつり建つ家、極少量の緑が垣間
 
           見えるだけなのだ。
 
           より一層、心中を荒涼とさせてくれること請け合いだ。
 
           「日が傾く頃には、山頂につけると思うぞ」
 
           先頭を行くヘリオが歩みを止めることなく、さらりと恐ろしいことを言う。
 
           太陽を振り仰ぐ彼を真似て、天空へと視線を泳がせたヒナは涙した。
 
           「お昼過ぎたばっかなんですけど…」
 
           ほんの僅か下降を始めたお日様が地平の彼方に消え入るまで一体どれほどの時を要
 
           するのか。痛む節々に先は長いぞとムチを入れたとて、さして効果はあがるまい。
 
           「お腹空いた、疲れた、足痛い、とにかく休みたい」
 
           移動手段は限りなく他力本願、自前の立派な足など教師からの逃走とショッピング
 
           にしか活用しない女子高生は、肉体労働に極めて不向きだ。
 
           加えてヒナはローファーを履いている。衣服の類はさすがに浮くのでこちらのチュ
 
           ニックとロングスカートを着用しているが、動物の皮をなめして縫い合わせただけ
 
           のサンダルもどきはどうにも彼女の生活水準に合わなかった。
 
           履き心地が悪い、クッション性がない。
 
           当たり前の文句を言ってローファーで旅路についたまでは良いが、いかんせんこれ
 
           だって山歩きに適しているわけがない。むしろ思いっきり不向き。
 
           しかして、たぶんというか間違いなくと言うか、踵にマメを製造してしまったヒナ
 
           は、とにかく休んで手当の一つもしたいのが本音なのである。
 
           「でしたら、私が」
 
           すかさず攫おうとする腕からひらりと身をかわし、ぷるぷる強固に首を振った彼女
 
           は、前を行くラダーの外套をわしずかんだ。
 
           「怪我人に休みナシは辛いよね?休憩したいよね?」
 
           必死に縋る瞳に、返ったのは無情の否定と呆れ顔。
 
           「お前さん、十二分に元気じゃないか。怪我人とは思えないくらいだよ。それに悠
 
            長なことは言っていられないんだ。ただでさえ長旅なのに1日無駄にしたんだか
 
            らね」
 
           「具体的にどれくらい?何日歩けばつくの?」
 
           当然、出発前にしなければいけない確認を今更する辺り、己の迂闊さを呪わないで
 
           もないが、正直これ程歩かされるとは思っていなかったのだ。
 
           それだとて、他の3人にして見れればたかがこの程度と言われるのであろうが、ヒ
 
           ナにとっては既に遠足並みに疲れている。
 
           「…殿下と私の足で20日というところですかね」
 
           言いづらそうに口を開いたディールが、ビミョウに視線を逸らしながら答えた。
 
           「あたしなら?」
 
           「怪我もしていますしね…後10日ほど」
 
           「10日?!」
 
           つまり30日、ほぼ一ヶ月。
 
           突然、ヒナは叫び出したい衝動に駆られて、ぐっと奥歯を噛みしめる。
 
           旅行に片道30日、しかも全部徒歩なんて事を考える日本人がいるだろうか?ギネ
 
           スに挑戦してるとか、限界を知りたいなんて優雅な理由ではなく、他に手段がない
 
           という切羽詰まった理由で。
 
           おまけに正体不明の敵にいつ襲われるかわからないこの現状、不平不満を言う以前
 
           に理解の範疇を越えている。
 
           「公共交通機関を期待したりはしないから、せめて魔法でひとっ飛びとか馬や馬
 
            車って発想はない?」
 
           少しでも楽な方に逃げてしまう現代っ子らしく、代替え案を期待してみるがヘリオ
 
           に即刻却下された。
 
           「一瞬で距離を超える魔術はないし、この山道をゆくのに馬車は無理だ。まして馬
 
            が入り用なら登り始める前に調達しなくては。ここまで登っておいてもう一度戻
 
            る気か?」
 
           気の遠くなる説明に、黙って首を振ったヒナは大人しく足を動かし続けることに決
 
           めた。
 
           歩いていれば、いつかはつくんじゃなかろうか。
 
 
 
           時を同じくして−−−。
 
           帝国を目指す一行とはかけ離れた空気を放ち、額を寄せ合う男達がいる。
 
           石柱と高い天井、石造りの重厚さに祭殿特有の荘厳さを併せ持つ部屋の中央で、小
 
           さな円陣を組み淡い光を放つ月の玉を3対の目が見つめていた。
 
           一人は夜の神殿司祭、バルザリア。
 
           一人はガスパ王国将軍、ガグラム。
 
           一人は国選魔術師、ファーセオン。
 
           救世主と言われる娘に最も近くある彼等は、彼女の動向全てを監視しその真偽を確
 
           かめるべく常に神経を張りつめて一月を過ごした。
 
           些細な言動も聞き漏らさず、指先が震えるのにさえ注意を向ける。そうして得た結
 
           論は、一様に同じで揺るぎない。
 
           「かの方は『夜の娘』ではあり得ません」
 
           目深に被ったフードの下から、老獪な瞳を光らせ司祭は首を振った。節くれ立った
 
           両の掌の中、乳白色の光を放つ玉が揺れている。
 
           「で、あろうな。曇りさえも示さぬそれが、何よりの証拠」
 
           歴戦の勇者は日に焼けた無骨な顔に嫌悪さえ覗かせて、国の、いや世界の宝をあご
 
           でしゃくった。
 
           夜の記憶を刻み、闇色に変化するはずの月の玉がシミ一つ写さない。
 
           「微かに魔術の匂いがします。神殿が静まる『眠りの太陽』に色濃く表れ、日の出
 
            と共に消えていく」
 
           柔らかな風貌に苦渋の表情を乗せた若い術師は、吐息と共に視線を落とす。
 
           審判を委ねられていた3人の決を採るまでもない。
 
           偽物だ、極刑を。だが−−−。
 
           「早朝、殿下から火急の知らせが届いた」
 
           眉をひそめた将軍は、不快感を露わにしつつも内容を語る。
 
           「忌み人が、殿下の見つけられた娘を認めたようだ」
 
           その身に失われた夜を宿す憎悪の対象、しかし唯一『夜の娘』を探し出せる指針に
 
           もなる存在。
 
           視界に入れるもおぞましい男を国家が抱え養うには理由がある。
 
           口伝に依れば−あくまで伝承であって確たる証があるわけではない−忌み人は夜を
 
           知るものに惹かれるのだという。幼子が本能で母を求めるよう、『夜の娘』を慕い
 
           懐く。
 
           本来王家の直系に、汚れた血を持つ人間を同行させるなど許せるわけもないのだが
 
           短期間で確実に彼女を見つけ出すには最も有効な手だと説得された。熱弁を振るう
 
           皇太子を嘲笑し、あなた様ならできるであろうと嘯いた輩もいたが、その言霊に某
 
           かの力が宿ったか。
 
           彼は見事、やってのけたのだから。
 
           幼少の頃から剣術戦略を教授し、息子より共に過ごした時間の長い殿下が嘲りをは
 
           ね除け功績を挙げたことにしばし快哉を叫んだ将軍であったが、協力者があの男で
 
           あると想像するだけで眉根が寄る。
 
           しかしこの際委細は棚に上げ、紛い物の処遇に関する殿下の考えを伝えねばならな
 
           い。2人の協力如何で、策の成否が決するのだから。
 
           「と同時に術師から襲撃を受けている。『夜の娘』には護衛として殿下、忌み人の
 
            他に境界の魔女がついているのだが、彼女が術戦で負けたと言うのだ」
 
           「境界の魔女が…!」
 
           「まさか…!」
 
           世界に名だたる魔女が、押さえるには術師を100人集めても足りないと噂される
 
           妖女が、敗北を喫したと言うのか。
 
           司祭はともかく、同じ魔術師のファーセオンなどは顔色を失っている。
 
           「一体相手はどれ程の力を持っていたというのです。それとも手に負えぬほど大人
 
            数を相手にしたとでも?」
 
           100人は誇張され過ぎだとしても、10人やそこら束になった程度で魔女を屠れ
 
           るとは思わない、いや思いたくないと詰め寄る魔術師に将軍は伝えられた真実のみ
 
           を淡々と語った。
 
           「年端もいかぬ少女が増幅され、拮抗を欠いた力で襲ってきた。『夜の娘』の協力
 
            で魔力を押さえ込むことには成功したが、彼女の命は後僅か。引き出そうと試
 
            みた情報も記憶を操作されてなにも覚えておらず。これが知らせの全容だ。不明
 
            部分の説明はファーセオンに頼めとの注釈が入っていたぞ」
 
           魔術に関する基礎知識しかない2人に、彼は少女が施された術の禁忌と状態とを聞
 
           かせると力なく頭をふった。
 
           「…なんという連中なのでしょう…子供の命を…狙いもわかりませんし」
 
           「うむ。『夜の娘』を騙るのも本物を殺すことも全く意味をなさんな」
 
           「しかし、殿下のお考えはわかる」
 
           頷き合った男達は音にならぬ命を聞いた気がした。
 
           −−−泳がせ、必ず糸引く人物を捕らえよ−−−
 
           「やれやれ、長い一月になりそうだ」
 
           深く息を吐くと将軍は背を向け、のそりと広い祭殿を横切り始める。
 
           「お待ち下さい、殿下の元に応援を送らないのですか?」
 
           立ち去ろうとする背中はなんの手だても打つ気はないと言っているようで、ファー
 
           セオンは慌てて呼び止めると記憶を手繰った。
 
           「4人…いえ5人国を離れても困らない術師がいます!ああ、けれど腕が悪いとか
 
            そういったわけではなくて、充分皆様のお役に立てると…」
 
           「落ち着きなさい」
 
           「司祭様、でも…!」
 
           やんわりと肩を掴まれそれでも勢いの収まらない魔術師に、振り返りもせず将軍は
 
           笑う。ヒラヒラと大きな手を振り、高らかに。
 
           「余計なマネは殿下の不興を買うだけだ。実力は充分、頭の回転も良い、最強の魔
 
            女も味方にいて、不本意この上ないが忌み人も一緒と来ればワシらがなんの心配
 
            をすることがある」
 
           「ガグラム殿の見解は、私的な意見が随分含まれているようだが真実であるのもま
 
            た事実。実戦に不慣れで知識だけが豊富な術師など、殿下には邪魔にこそなれ喜
 
            ばれることはありますまい」
 
           「大人しく、敵を見つけるのが得策だろうな」
 
           「…はあ…」
 
           納得できたわけではないが、年嵩の司祭と将軍に意見できるほどファーセオンの地
 
           位は高いわけではない。
 
           しぶしぶ引き下がりはしたが、彼は久しく尊顔を拝謁していない主が心配でならな
 
           かった。
 
           敵は倫理も常識も欠落しているとおぼしき存在で、冷酷かつ卑劣な策を弄するのに
 
           爪の先ほどの罪悪感も抱かない連中だ。敬忠を自負し皇太子を盲愛する少々危険な
 
           魔術師はできるなら自分こそが殿下のお側に飛んでいきたいと願いながら、こっそ
 
           り握り拳を固めた。
 
           「お怪我を負ってお帰りになられたら…あの男、殺してやる」
 
           遠く離れた空の下、ディールがくしゃみをしたとかしないとか…。
 
 
 
                HOME    NEXT?
 
 
 
           
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送