1.夜の娘
 
 
 
           誰の仕業か知らないが、随分と手の込んだ仕掛けだとヒナは思った。
 
           一面の緑は座り込めば身の丈が隠れるほど長い葉で覆われ、遙か彼方にぽつりと見
 
           える建物以外、障害物がない。
 
           人影はもちろん、電柱も道路も信号もビルも車もない。呆れるほどに広い草原と地
 
           平、それが全て。
 
           「バーチャル?」
 
           うっかり落ちた穴の先にこれ程巨大な大地を創り出せるわけはなく、ましてや地下
 
           でサンサンと降り注ぐ太陽にお目にかかれるはずもない。
 
           自分の豊富とは言えない知識を漁っても、正当な理由付けをするにはゲームの中の
 
           仮想現実ぐらいが精一杯で、今ひとつの案を採用するには体が申告する痛みがリア
 
           ルすぎた。
 
           落下の衝撃で軋む骨を励まして、どうにか立ち上がり踏み出す一歩。
 
           踏みしだく下草の抵抗が足裏に、そよぐ風が頬に、揺れる葉が指先にもたらす感覚
 
           に、突然襲った焦燥感。
 
           現実だ。どれだけ技術が進歩しているのか知らないが、五感を誤魔化しきれるほど
 
           のバーチャルなんてあるはずがない。
 
           「どこよ、ここー!!」
 
           答えをくれるモノなど、当然ながらいなかった。
 
 
           時を同じくした頃、夜の神殿で待ちに待った娘が厳かに迎え入れられる。
 
           古い口伝に存在を示された者、千年の贖罪を経て人々に安らぎをもたらす者。
 
           淡い光りを捨て、自身を焼き尽くすかのように燃えさかる『眠りの太陽』が天頂に
 
           さしかかる深夜、儀式は粛々と進められていく。
 
           「深き慈悲を、御身の知る優しき闇をお分け下さい」
 
           年老いた神官の差し出す乳白色の玉(ぎょく)に一瞥をくれた娘は、高慢とも取れ
 
           る仕草で頷くと長い黒髪と漆黒の瞳を誇示しながらしずしずと神殿内部に消えてい
 
           った。
 
           「アタリだと思うか?」
 
           傍ら男の問いに、咎めるような視線を送った青年が首を振る。
 
           「お静かに、殿下」
 
           周囲では未だ続く儀式の中、朗々と国王の声が響いている。私語など、まして『夜
 
           の娘』を批判するなど許されることではない。
 
           それでなくとも、この2人は人目につくのだ。
 
           短く刈り込んだ金髪と新緑の瞳、荒削りな顔立ちながら気品と人なつっこい笑みで
 
           国中の女の視線を集める皇太子と、黒曜の肌に長い白髪と深海の瞳を持つ参謀。
 
           時期国王と、世界で唯一闇を残す『太陽の罪人』は希望を繋ぐ者として大陸だけで
 
           なく、小さな島国にさえその存在を知られていた。
 
           「答えろよ、お前の人生に深く関わるかも知れない女のことだぞ」
 
           何事にも無頓着、傍若無人が服を着て歩いているような男に、世の理などあってな
 
           いようなもの。
 
           立場を考慮しての忠告も彼には無為で、諦めに唇を綻ばせた青年は肯定の視線だけ
 
           で真意を告げた。
 
           「やはり、な。…大罪を犯したと気づいていればいいんだが」
 
           あの様子では無理か、と呟いてやおら男は踵を返す。
 
           「殿下?」
 
           訝しげに潜められた声に肩を竦めた彼は、振り返り僅かに眉根を寄せた。
 
           「本物を捜さなきゃならん。時間がないんだよ」
 
           二つの太陽が命を枯らしてしまう前に。
 
           言外の決意に吐息を漏らした青年も、ざわめき始めた貴人たちを見ぬふりで神殿に
 
           背を向ける。
 
           「お供しますよ。私がいた方が都合がよろしいでしょう?」
 
           もの問いた気な視線も、批判の囁きも彼等を止めることはできはしない。
 
           2人の持つ絶対的な権限には、国王でさえ意見できないのだから。
 
           そう、世界を救うために歩み去る2人には。
 
 
 
           「小屋?」
 
           まとわりつく草に悪戦苦闘しながら辿り着いた建物は、この表現がなんと似合うこ
 
           とだろう。
 
           見るからに薄い木の壁も、同じく板を張っただけの屋根もヒナの住む世界ではそう
 
           呼ぶのだ。
 
           「苦労して辿り着いて無人だったら、ほんっきで泣くからね」
 
           実際はもう泣きわめきたいのが本音だが、それをしたとて何が変わるわけでもない。
 
           せめて誰かに話を聞いてみたい、ここがどこなのか確かめて、あるかも知れない帰
 
           り道を模索してからでも遅くはないはずだ。
 
           決意して歩いた。ただ黙々と現実を踏みしめて、遠く霞む家の主が僅かな希望を与
 
           えてくれることを願って。
 
           建物の割には立派すぎるドアをノックする時、落ち着くための深呼吸も忘れない。
 
           言葉が通じなくても、パニックを起こしちゃダメ。少しでも絶望的な現状を伝える
 
           努力をしなくては。
 
           この家の住人に見放されたら、眠る場所さえ確保できないのだから。
 
           意外に反響したノック音にビクリと体を震わせて待つことしばし。
 
           返事はない。
 
           「留守?」
 
           再び、今度はもう少し力強く叩いてみるが、やはり反応は無い。
 
           もしや無人なのではと外観を今一度確かめると、側面にある木製の窓らしきもはし
 
           っかり戸締まりされて積もった埃まで見えている。
 
           「嘘〜、どうしろって言うのよ…」
 
           ぷつりと理性の切れる音がした。
 
           後は押し寄せる感情に従うだけだ。くずおれるように座り込んで、数時間前まで日
 
           常だった光景に思いを馳せる。
 
           口うるさい母親、寡黙な父、退屈な授業とたくさんの友人。コンビで買い物してフ
 
           ァミレスで時間を潰し、バイトで不必要な笑顔を振りまく。
 
           変化のない毎日を嘆いたこともあったが、いきなり大草原に放り出されることを思
 
           えば恒常的平和がどれほど貴重で大切だったか身に染みるというものだ。
 
           「帰りたいよ〜、お母さ〜ん…」
 
           「帰ったらいいじゃないか」
 
           身も世もなく泣き崩れていたヒナ背後から聞こえた、女の声。
 
           声も涙も動きも全て止めて、確かめたいと思うのだが空耳だったらと恐怖が湧く。
 
           救世主だと期待して、振り向いた先にあるのが草だけだったら…?
 
           「帰れって言ってるんだよ。聞こえてんだろ?」
 
           風でも巻き起こしそうな勢いで振り向いたヒナの目に、中年の女が映った。
 
           真っ赤としか表現しようのない髪も、真っ黒いマントのような服も、怪しくはある
 
           が間違いなく言葉の通じる人間だ。
 
           「帰れないから困ってるんです!!」
 
           逃げられないようにとの思いが余程強かったのだろう。無意識に女の黒衣を握りし
 
           め、泣き濡れた瞳に並々ならぬ緊迫を滲ませて彼女の体に縋り付く。
 
           「ここ、どこですか?日本て知ってます?東京は?」
 
           機関銃のように発せされた言葉に、僅かに眉を上げた女はまじまじとヒナを眺め、
 
           ああ合点がいったと頷いた。
 
           「あんた、『夜』を知ってるね?」
 
           それは唐突な質問。それでいて答えるのさえはばかられるような当然の質問。
 
           「…知らない人なんて、いるんですか?」
 
           己の身の上さえ忘れ、訝しげに訊ねれば女は笑う。
 
           「そう、もう千年の時を数えたか…」
 
           意味も脈絡も全く理解できない。
 
           呆然と女を見上げるヒナは、背を押されて粗末な小屋に招き入れられた。
 
 
 
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