23.sideみる      
 
 
         「どうして、いけないとわかっているモノほど欲しくなるんだろうね?」
 
         「知りませんよ、そんなこと」
 
         『つい』『うっかり』私のケーキを食べてしまった姉のカレシに冷たく言い放ち、靴を
 
         履く。
 
         帰ったらおやつがあると今日一日浮かれていた女の子の気持ちなど、この人にはわかる
 
         まい。いや、わかる必要もあるまい。彼の回りにはその美しい容姿に惹かれる虫の如き
 
         美女が群れをなし、相手を思いやったり感情を深読みする間もなく次の一手を与えてく
 
         れるのだ。さして商品価値もない一般女子に、心を砕く必要もなかろう。
 
         これ、この通り。
 
         「…どいて下さい」
 
         「いや」
 
         楽しそうに笑って、玄関のドアと自分の腕の檻とに私を閉じこめた男は不遜。
 
         感情の赴くままに生きるのは、迷惑だからやめなさい。
 
         「蹴りますよ」
 
         思わず見とれずにおれない顔は、決して見ない。視線を外したまま、あくまで冷静に『お
 
         願い』する。
 
         「はは、言っちゃったら避けられるとは思わない?下手するとこうして」
 
         言うが早いか彼の長い腕と足が、絡め取るように私を戒めた。
 
         「捕まる、とか」
 
         そうすることで消えた距離はダイレクトに彼の声を届けて、拘束された全身が凍り付く。
 
         柔らかな髪が頬に、触れる。
 
         意図して唇は額に、落ちる。
 
         吐息が首筋を掠めて、指先は顎のラインをひと撫ですると唇の上で止まった。
 
         「ねえ、禁じられたモノが甘いのは、なぜ?」
 
         麻酔みたいな響きに酔いしれることができるほど、私は空気に酔ってはいない。
 
         まだ…まだ大丈夫。
 
         「ケーキは、どれも甘いですよ」
 
         だからにべもなく切り捨てて、裸足の爪先を力の限り踏んづけた。
 
 
 
         星野静が我が家に現れるようになったのは、一月ほど前。季節はずれの台風が思いもか
 
         けない強風と馴染みの暴雨を連れてきたあの日から。
 
         派手に遊び歩いているお姉ちゃんの何番目かのカレシで、たぶんセフレ。帰り着いた自
 
         宅のキッチンが最初の邂逅の場所だったけれど、あからさまにやってましたと言わんば
 
         かりの半裸を晒して水を飲んでいた。
 
         「…誰、ですか?」
 
         「招かれざる客、です」
 
         至極当然な、それでいて体よく誤魔化されることの多い質問に彼はイヤに正直に答えた。
 
         キレイだけどちゃんと男っぽい顔を少しだけ緩めると、一歩こちらの近づく。
 
         そして、今までのカレシ達がそうだったように私を観察して、
 
         「君は、難しそうだね」
 
         笑いもせず、そう評した。
 
         今時洒落気のないメガネをとって?一つにまとめただけで色も変えてない髪だから?美
 
         人じゃないせい?いかにも真面目オーラ出てる?…どれもしっくり来ないわ。
 
         確かに目の前の彼やお姉ちゃんに比べたら、複雑な思考回路を形成している自信はある
 
         けれど、だからと言って難しいかと問われればごく単純な頭の造りですと言い切れる自
 
         信がある。
 
         「…実に単純明快ですよ」
 
         だから、にこりともせずにそう告げると軽く会釈してさっさと2階へ上がったのだ。
 
         ううん、逃げたのかも知れない。沸き上がった陽気な笑い声から。ずっと追ってきて私
 
         の中に住み着いてしまった豊かなアルトから。
 
         あの日から彼は、不可侵の男になって胸の内をかき回す。
 
 
 
         「おかえり」
 
         「………」
 
         誰の家なんだと疑いたくなるタイミングの良さで、星野静が扉を開けた。
 
         チャイムを鳴らす前に、人ん家のドアを。
 
         「いつもきちんと挨拶を返してくれるのに、今日はどうかした?」
 
         どうもくそもあったもんじゃない。原因なる人物に随分とおかしな質問をされるモノだ。
 
         明らかに自分の影響力を知っている男は、さわやかな中にエッセンス程度の色気を落と
 
         してなぜだか私を見る。
 
         「…手広いのは結構ですが、私にまで色目を使ってもしかたないですよ?」
 
         感情なく言ってわずかな隙間を抜け家に入ろうとした腕が、当然のように囚われてもさ
 
         して驚きはしなかった。
 
         初めて出会った日からずっと、彼はこうだから。目が合えば微笑み、口を開けばからか
 
         う。急いでいても口先三寸で捕まるし、無視しようにも−私の中の不可解な感情がそれ
 
         を許さない。
 
         そう、どんなに否定してもこの人と話すのが楽しいと自分で気づいているからやっかい
 
         なのだ。
 
         −人のものなのに−
 
         「ひどいな、みるちゃん。わざわざお出迎えしたのに、そんなこと言うなんて」
 
         「はい…?」
 
         頼んでもいないのに…?しかも、
 
         「隣近所に申し開きできない格好では、嬉しくもないんですが?」
 
         また、上半身裸なのよこの人…下もねできるならズボンのホックは留めておいてほしい
 
         じゃない。ボクサーパンツなんか見えてもちっともドキドキしないから、絶対ドキドキ
 
         しないから…。
 
         「ああ、そっか。君を誘惑しちゃうから怒ってるんだね」
 
         瞬間で熱を持った頬をつついた指を反射的に振り払う。
 
         「やめてっ」
 
         「…触られると、おかしくなる?」
 
         くっと喉を鳴らす男を殴りたい気持ちと、抱きつきたい気持ちがせめぎ合った。
 
         ホントね、ダメだとわかっているものほど欲しい。どんなに表面を取り繕っても、キス
 
         を避ける気さえないなんて、最悪だわ。
 
         しかもそれは、果てなく甘い。
 
         「…やっぱり、君が僕のための一人、なんだね」
 
         濡れ光る唇を舐めて彼は笑うと、片指ですくい上げたメガネを下駄箱の上に放る。
 
         「なんですか、それ…?」
 
         既に薄れつつある倫理を叩き起こして問うことが、私の最後の理性だった。
 
         せめてこの人の真意が知りたい。興味本位だったのか、少しは本気だったのか。
 
         「みんなね、同じこと答えるんだ。顔を見ると嬉しくて、言葉を交わすと一日浮かれて
 
          いられる。キスがとびきり気持ち良くて、寝たらもう離れられないって」
 
         至近距離で楽しげに指を折りながら、彼は誰の言葉を反芻しているんだろう?
 
         「…おかしなことを言うと、思ってる?」
 
         軽々と私を抱き上げて、イタズラに口角をあげるとおでこにキス。
 
         「父さんと叔父さん、それに兄さん達は自分だけの一人を見つけていつも幸せそうで、
 
          いつまでたってもそんな女の子と出会えない僕にくれたアドバイスなんだけど、君に
 
          は理解できないかな」
 
         躊躇いなく階段を上がる足取りに夢見心地は砕けて、同時に鼓膜を揺らした声は一部を
 
         理解しているうちに流れて消えた。
 
         上にはお姉ちゃんがいるのに、彼が誰に出会えないって…?
 
         ダメ・ワカラナイ。
 
         「あの、お姉ちゃんが、だから!」
 
         止めなければと、襟首を覆う長めの髪を引っ張るのに、なぜ、と笑顔。
 
         「僕を選べば、必ず彼女と話さなきゃならなくなる。始める前と、後。みるちゃんの中
 
          で罪悪感が薄らぐのは、どっち?」
 
         人が、眠らせていたはずの感情を揺り起こして、でも突きつけてくるのは現実だから。
 
         優しげな声で、選べと有無を言わせぬ口調で。私に与えられた取捨選択はどちらに転ん
 
         でも彼と一緒の未来。
 
         「あなたを選ばないことだって、できる」      
 
         悔し紛れの、ちっとも心がない抵抗を、だからメフィストが嗤う。
 
         「今更だね…キスは、気持ちよかったろ?お嬢さん」
 
         結局私に、道なんてない。
 
         この笑顔に、逆らえないんだから。
 
 
 
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