8.side花           
 
        「痛くない?」
 
        「平気」
 
        青黒く変色した唇の端に触れると、片桐さんは屈託なく微笑んだ。
 
        そんなはず、ないのにね。綺麗な顔が腫れ上がってるのって痛ましいわ。
 
        「お兄ちゃんてば、芸能人を傷物にするなんてファンにとり殺されるわよ」
 
        呑気にお茶を啜る彼は片眉をしかめるとそれがどうしたと言わんばかりにふんぞり返って
 
        る。
 
        青くんと二人してずっとそんな調子。手当をしてるのも眺めてるだけで手伝わないし、う
 
        ち解けて話をしようって気もない。
 
        「いいんだ、俺は殴られて当然なんだから」
 
        もう、甘いのよ。
 
        「片桐さんにとって、顔は商売道具でしょ。ちゃんと怒らなきゃダメじゃない。せめて体
 
         とか目立たないことにしろって」
 
        「…さっきから花は俺の顔のことばかりだな」
 
        「だって、私綺麗なもの好きだから」
 
        「もしかして俺の好きなところは顔だけか…?」
 
        「そ、そんなことないわよ。えっと綺麗な声とか、綺麗な手とか…」
 
        「…綺麗ずくし…」
 
        「しょうがないでしょ!」
 
        あの夜以降、片桐さんを知ろうとなんてしたことないんだもん。ポスターもテレビも有線
 
        でさえもできる限り避けまくって来たのよ。
 
        おぼつかない記憶の中で鮮明に思い出せたのは整った容貌と静かな青、それだけ。
 
        「…あれ?青って、片桐さんは黒い目じゃなかった?」
 
        露出してるどのメディアでも、彼がこの深い色を晒したことはない、と思う。
 
        クラスで得意気に彼のプロフィールを語ってた子も、あからさまなこの特徴に付いて言及
 
        してたことはなかった。
 
        「ああ、普段黒のカラコン入れて隠してんだ」
 
        ええっ?逆でしょ、それ。大抵は黒い目を青く見せるためにカラコンするんじゃないの?
 
        「一つ気になってたんだが」
 
        それまで知らんぷりだったお兄ちゃんが、突然くちばしをくっこんで来た。
 
        話してる途中なのに、勝手なんだから。
 
        でも、むっとする私とは逆に片桐さんは聞く気満々でぐるりとあっちを向いちゃうから仕
 
        方ない。
 
        なにも好きな人に注目してもらった女子高生みたいに、お兄ちゃんの機嫌取ることないの
 
        よ、わかってる?
 
        「簡単に結婚と言うが、ご両親の許可は必要ないのか?」
 
        子犬のごとき彼にちょっと眉をしかめて、忘れてた大事なことを聞く当たり、さすが年長
 
        者。
 
        自分にいないから忘れてたけど、当然避けて通れない問題なんだわ。お腹がはち切れそう
 
        な女が突然現れて『嫁で〜す』なんて言ったらきっとご両親卒倒しちゃうんじゃないかし
 
        ら。
 
        ゆゆしき問題であるはずなのに、片桐さんは首を振る。硬い表情で、感情さえ消して。
 
        「父は誰だか知りません、母は行方知れず。育ててくれた祖父母も他界しました」
 
        なんの凹凸もない声は、逆に私の心に刺さった。それはお兄ちゃんも青も一緒で、瞳から
 
        批判的な色を消すと、静かに彼の独白に耳を傾ける。
 
        「顔立ちや目の色から、父親は外国人だろうと思いますが、真実は消えた母だけが知って
 
         います。東京に出て数年ぶりで帰った娘が俺を置いていなくなった、祖父母が知ってい
 
         たのはそれだけで、唯一の救いはかろうじて出されていた出生届け、ですかね」
 
        「…捜したいとは、会いたいとは思わないのか?」
 
        生物であれば必ず持っているはずのルーツ、知りたいと考えるのは自然なことなんじゃな
 
        いかしら。幸い顔の売れてるお仕事だし、その気になれば容易い気がするんだけど。
 
        けれど、質問に返された片桐さんの嘲笑は背に響くほど冷たい。凍てついた目で、全てを
 
        否定して嗤う。
 
        「会いたくないから目の色を隠すんです。母とは似てもにつかない顔をしてますからね、
 
         この色で俺が息子だとわかるかも知れない、別れた男に似ていると気に留めるかも知れ
 
         ない」
 
        「それが、いやだと?」
 
        「捨てた子供に今更謝る母はいらない。また拒否されて平静でいられるほど大人じゃない。
 
         どちらも見たくないから、いっそ知らないまま一生を終える方がいい」
 
        「…暗い奴」
 
        嘲る調子で呟いたのは、青君だった。
 
        大人に注視されても動じない小学生は、鼻で笑って片桐さんを睨むとその調子のまま続け
 
        た。
 
        「生まないこともできたのに、そうしなかったんだろ?育てはしなくても、あんた生きて
 
         るじゃん。だから花と会えたし…むかつくけど。子供だって作れたんだから、泣いて再
 
         会を喜ぶ親なら許してやれよ。拒否られても礼くらいは言ってみれば?おかげでこんな
 
         に幸せですって」
 
        …タマに思うの、青くんてすごく頭がいいんじゃないかって。お兄ちゃんだって決してバ
 
        カじゃないけど、将来有望なエリートだって自分で公言してるけど、この弟には敵わない。
 
        視点が鋭くて、切り口が鋭利。当たったら怪我しちゃう勢いだけど、決して間違わない。
 
        ひねくれ小僧って言い方もできるけど、ね。
 
        「会いたくても、絶対会えない人間もいるんだぞ。この世にいるだけありがたいとか考え
 
         られないの?」
 
        不満げだった片桐さんが、不意に唇を噛んで反論できなくなる一言だった。
 
        お兄ちゃんも、もちろん私も黙り込む。
 
        年相応に幼く、脆さも見せた青くんの真実。ぐっと我慢して、涙こそ見せないけれど喪失
 
        の絶望は確かにそこにある。
 
        「…そうだな、簡単に切り替えはできないけど、努力する」
 
        昔年の思いって水のように流れたりはしない。春の雪解けのように、じわじわと日々にゆ
 
        っくり消えるもの。
 
        「まあ、焦らずじっくり、だな」
 
        無理に納得する必要はない、なんてらしくないフォローを入れながらお兄ちゃんの顔も少
 
        しだけ優しく。
 
        「…俺、花に会えたこと神様に感謝したい。緑さんや青くんに家族として認めてもらえる
 
         よう死ぬほど努力する」
 
        ちょっぴり赤くなった頬が歪んで、片桐さんが1人の人間に見えた。
 
        芸能人て顔を知られた商品じゃなく、温かい血の通う人に。
 
        「独りよがりだった、不幸なのは俺だけだって思って生きてくとこだった。…違うよな、
 
         形は違ってもみんな悲しみを持ってる。祖父ちゃんが繰り返し言ってた『前を見ろ』っ
 
         て意味、今日初めて知った」
 
        「そうだね、過去は消せないけど、未来は作れるんだもの」
 
        私たちはそうしてきた。だからきっとできるよ。
 
        「あの人を許すことができるのか、わからないけど、青くんが言ったように考えることは
 
         できるもんな」
 
        微笑んで、伸ばされた腕に身をゆだねる。
 
        大丈夫、私も赤ちゃんもここにいるよ。決してあなたを捨てたりしないから。
 
        「そこまで!」
 
        べりっと音がしそうな勢いで引き離されたのは、最高潮に盛り上がったそんな時。
 
        ものの数秒で般若に変わったお兄ちゃんと青くんが仁王立ちで、不気味な笑い声を漏らし
 
        てた。
 
        「してもらおうじゃないか、死ぬほどの努力。お望みとあらば今すぐにでも地獄を見せて
 
         やるぞ」
 
        「激しく同感。僕はアンタを家族と認める気は、ない!!」
 
        あーあ、せっかくいい雰囲気だったのに。
 
        …この人達が仲良くできる日なんて、くるのかしら。
 
 
 
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