7.side緑           
 
        殺してやりたいと願った男が目の前にいる。
 
        大切な妹を、たった3人になった家族を守り抜くと誓ったのに邪魔をした男。
 
        無責任さは奴の職業を考えると尚業腹で、己の生活を侵されないために花を捨てたんだと
 
        したら何を置いても復讐してやる。
 
        おめおめと俺の前に姿を現したこと、一生後悔させてやる。
 
        テーブルを挟んで正座する姿はきっと、不実を取り繕うための芝居に違いないだろう。
 
        名の売れた芸能人が、ちょっと…いやかなり可愛い娘にちょっかいをかけた、それだけだ。
 
        後先考えずに生殖行動に走り、あまつさえ未成年にシングルマザーになる覚悟を決めさせ
 
        る、都合が悪くなったので隠蔽工作に奔走する…殺してやる。間違いなく港湾に無様な姿
 
        を晒させてやる!
 
        「…会社、大丈夫なの?」
 
        険悪なムードを取り繕おうと、茶を運んできた花が笑いかけるのにただ首を振った。
 
        青からの緊急通信を受けて、いけ好かない叔父を1人危篤にして飛んできたのだ。下っ端
 
        の俺が放り出すにしては大量の仕事を押しつけた上司は泣いていたから、明日の朝は息も
 
        つけない状態になっているに違いない。
 
        だが、この男を殴る以上に大切なことがあるだろうか?いや、あるわけがない。
 
        「で、何をしに来たんだ」
 
        庶民の居間には華美すぎる男を睨みつけると、不安に瞳を揺らす妹も同調するようにふん
 
        ぞり返る弟も無視して問う。
 
        「謝罪とお許しを得に来ました」
 
        海色の瞳を真っ直ぐ俺に据えた奴は、静かに言った。
 
        「こんな状態の妹さんを放っておくような真似して、すみませんでした」
 
        次いで畳に額をつけるように上体を折る。
 
        謝れば全てが終わると、まさかそんな単純な問題だと思ってはいまいな。
 
        俺の返答を聞くまでは顔を起こすつもりのない奴を気遣って、花がにじり寄るのも面白く
 
        ない。
 
        ひどい目に合ったばかりだというのに、なぜこうも甘いんだ。
 
        「で、次はいくら払えばいいか、とでも言うつもりか?」
 
        嘲笑混じりの声に静かに反応した奴が首を振る。上げた瞳に強い意志を宿し、きっぱりと
 
        否定を滲ませて傍らの花の手を取った。
 
        「金で解決しようとは思いません、責任だけで結婚するつもりもありません。ただ一緒に
 
         いたい、彼女も子供も欲しいからこうしてきたんです」
 
        …そういったセリフは是非俺を見て言ってもらいたかったもんだ。
 
        2人で見つめ合って世界を作られていたんじゃ、気がそがれて殺傷力の高い名言が出てこ
 
        ないじゃないか。
 
        半ば呆れつつも、憂いに沈んだ日々を送る花を眺めているしかできなかった自分を振り返
 
        る。
 
        気丈に振る舞おうと、冗談を飛ばしていようと、1人になった妹が時折流す涙を見逃した
 
        ことはない。深夜に響く押し殺した泣き声だって未だに耳から離れない。
 
        大丈夫だと言葉を重ねても、不安を消し去るどころか一層無理な顔をさせるだけだった。
 
        なのにどうだ。予告なく現れた馬の骨がそれら全てを消し去り、吐き気を誘うほど甘った
 
        るい微笑みを花に与えた。
 
        慈しんでいると語る奴の瞳が、輝くほどの自信を不遇の親子にもたらした。
 
        益々持って不愉快だ。認めざる得ないほど互いを必要とするカップルなど、誰が見ていた
 
        いものか。
 
        愛しい妹と、抹殺しても飽き足らない男が相手では理性が許しても本能が許さない。
 
        知らず深くなる眉間の皺を意識しながら、咳払いを一つして連中にギャラリーの存在を示
 
        してやる。
 
        年かさな分ほんの僅か衝動を抑えている俺と違って、ガキ丸出しの青が飛びかかる前に。
 
        「今更お前達の間にあったことを聞こうとは思わん。両親揃っているなら子供にとってそ
 
         れ以上の幸福はないだろうからな」
 
        「兄さん!!」
 
        寛大な処置とも取れる言いようにたまらず膝を浮かしかけた弟の首根っこを押さえて黙ら
 
        せると、安堵の表情を浮かべる2人を険の残る瞳で見やった。
 
        「だが、譲れんこともある」
 
        一瞬気を抜いた奴を殴り飛ばすことなど、造作もない。
 
        テーブルを踏み越えて、花に危険が及ばない位置まで引きずると拳が痛む力で頬をえぐる。
 
        もちろんそれで気の済むはずもなく、遅れて駆けつけた青と共にがら空きのボディーにも
 
        数発お見舞いした。
 
        尾を引く悲鳴も、陶器の割れる音もどこか遠い。温厚で理性的だと評された自分の行動と
 
        しては、なかなか過激で衝動的だ。
 
        「許すと言えるほど人間ができていないんだ。一言二言の謝罪で過ぎた時間は帰らない」
 
        壊れた人形のように床に転がる男は、激しくむせ込みながら視線を上げると切れた唇に嘲
 
        笑を乗せた。
 
        「…わかって…ます…殴られる痛みより…傷つけられた痛みの方が…おおきい」
 
        カタカタ震える体を青に支えられている花を伺った瞳が陰り、その内にある悲しみを探る
 
        までもないと無言で語る。
 
        「償いたい…だけど贖罪のために一生を送る気はない…彼女と共に幸せになりたいんです
 
         …この先の未来を…俺に与えてくれませんか…?」
 
        「都合がいいな。過ぎた不幸は知らずに幸せだけを望むのか」
 
        花の絶望を、俺たちの嘆きを忘れろと?
 
        横たわる奴に吐き捨てると、力なく色素の薄い髪が揺れた。
 
        「いいえ…思い出すたび腹が立つなら、また殴ってもらっていい。何度でも、消えないよ
 
         うにその度傷つけていい…」
 
        だから、と大儀そうに伸ばされた指が俺に縋る。必死の光りを宿した眼が懇願する。
 
        「花と子供を俺に下さい。離しちゃいけなかった彼女をもう一度抱きしめる資格を下さい」
 
        「私も、私も一緒にいたいの!」
 
        青の制止を振り切った花が零れそうな涙をたたえて奴を支えていた。
 
        健気に寄り添う女と、ボロボロの躰で尚許しを請う男。
 
        …まったく、これじゃ俺1人が悪者じゃないか。一昔前の日本じゃあるまいし、家族の反
 
        対で交際を許してもらえない恋人同士を見ているようだ。
 
        深々とため息を吐いて、呆れ顔で成り行きを眺めている青と苦笑を交わすと茶番を終わら
 
        せるため俺は2人に背を向けた。
 
        「好きにしろ…殴ったら少し気も晴れた」
 
        ドカリと定位置に腰を下ろし、茶でも啜ろうとテーブルを見てまた吐息。
 
        しまった…自分でひっくり返したのか。
 
        「おい、そいつの手当をしたら茶を煎れてくれ。暴れたら喉が渇いた」
 
        横柄に命じると驚きに見開かれた連中の瞳が色を変え、喜びに弾んだ声が威勢良く返って
 
        きた。
 
        「うん、一番良いお茶煎れるからね!」
 
        きっと、認めたことを何度も後悔するに違いない。
 
        胸くそ悪い男の微笑みと、妹の明るい表情を目の端に収めて誓う。
 
        いじめ倒してやる。
 
 
 
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