18.side純太     
 
 
         「なんて格好してるの、いい年して」
 
         視線を逸らしたまま言い捨てるそれが、強がりだとわからないほど俺は青くない。
 
         流れる漆黒の滝から覗く耳朶も桜色に染まって、こいつの本心を知らせる。
 
         2週間、会わずにいれば余計に募るのが恋心なんだって、気づいただろうか。一人の時
 
         間にもう大丈夫だと自信をつけても、こうして向き合った瞬間に溢れるのが恋、だと。
 
         「似合うだろう?まだお前の先輩で通るぜ」
 
         同情にこの顔は曇っていないか、誰か教えてくれ。
 
         軽口を叩きながら、その実、星野の痛みがわかる俺はこの不毛な想いに決着を付けてや
 
         ることばかり考えていた。
 
         −−忘れてしまえ。嫌って、憎んで、俺のことなど全て−−
 
         過去に捕らわれて動くことができない、それがどれ程苦しいか知っている。
 
         応えてやることができないなら、せめて嫌われてやる。徹底的に、イヤな男になって。
 
         「しっかし、いーねーこのクラスは。そそるお嬢さん方ばっかじゃねえの」
 
         下着を見せてんじゃなかろうかって服を着て、夜のお仕事を彷彿とさせる女性徒にくる
 
         りと頭を巡らせた。
 
         『ヤダ』とか『スケベ』なんていいながら満更でもない連中はたちまち俺を取り囲み思
 
         い思いに過剰な色気を振りまき始める。
 
         「センセ、座らないの」
 
         「注文は?一杯くらいなら奢るよ」
 
         「ねえ、午後一緒に回ろ」
 
         混じるコロンの香りときつすぎる化粧は好きじゃない。適当に遊ぶのはとうに卒業して
 
         いる身としては、ガキが男を誘う稚拙な術に不快感を覚えるくらいだ。
 
         けれど、今は。
 
         「おお、いいぜ。他のクラスの女子とも約束してるから、一緒で構わなきゃまとめて面
 
          倒見てやるよ」
 
         自分でも気味が悪いと思える愛想の良さで女達を捌いて、硬い表情の星野についでのよ
 
         うに視線を送る。
 
         「おう、お前も来れば?」
 
         長い時間、二人だけの空間で築いた他の生徒とは違うという彼女の誇り。
 
         知っていて、奪い去ろう。まとわりつくこいつらと一緒だと、お前も教え子でしかない
 
         んだと。
 
         小さな体が派手に揺れて、一瞬縋る色を写した瞳が俺を蝕んだ。
 
         …頼むから、そんな顔すんな。…どうすることもできねえんだよ、突き放すほか、方法
 
         を知らねえんだ。
 
         例えそれが、どんなに残酷でも。
 
         「…行くわけ、ないじゃん…」
 
         胸が、軋む。
 
         膨れた顔や怒った顔、弾けるような笑顔じゃない、苦痛に唇を噛む表情に、心臓が縛り
 
         上げられるようだ。
 
         「…そう言うなって。祭りは大勢で楽しむ方が、いいんだぜ?」
 
         これ以上、言う必要があったのかわからない。
 
         「星野みたいに可愛い子なら、連れて歩くと気分いいしな」
 
         けれど、制御を離れてこぼれ落ちた言葉は彼女に降り注ぎ、きっといくつもの傷を作っ
 
         ている。
 
         上辺だけでお前を見ていた、俺はそんな男だ。最低の男なんだ。
 
         だから、心おきなく見限れよ。一時辛くてもきっと、その方が幸せになれる。
 
         「ちょっと!」
 
         声もなくハラハラと涙する従妹に、もう一人の星野がいきり立った。
 
         大げさな音を立てて椅子を蹴倒し、短い距離を小走りで埋めて少女の肩を抱くとこちら
 
         を睨め付ける。
 
         火の出そうな瞳で怒りを露わに、今にも俺を睨み殺しそうだ。
 
         「あんた…っ!!」
 
         「ハルカ」
 
         「やめて」
 
         押しとどめたのは冷静な二つの声。
 
         たぶん星野ハルカの彼なんであろう長身の男と、蒼白のまま泣き続けている星野本人だ
 
         った。
 
         「どうして、ハルカが怒るのよ」
 
         不思議だと言わんばかりの表情は泣き笑いに歪んでいて、痛ましいほど美しく、直視で
 
         きない。こいつの為だと言い聞かせても、感情が騒ぐ。何故泣かせなくちゃならない、
 
         どうして、今のままじゃいけない…。
 
         「だって…」
 
         止めどなく流れる雫を拭いながら、星野ハルカもまた苦しげに涙を落とす。
 
         「だって、だって」
 
         繰り返して、声にならなくなった嗚咽を上げながら互いに抱き合って、しゃくり上げる。
 
         その姿に、罪悪感はピークだった。立場も何も関係ない。殴ってくれ、俺を。
 
         頼むから…処罰なら甘んじて受けよう。責任は引き受ける。
 
         「…お応えできなくて、残念です」
 
         けれど、二人を守るように腕を回したカレシは、冷静だった。
 
         心を見透かした色素の薄い瞳が、俺を蔑む。もっとスマートの切り抜ければ、彼女らは
 
         泣かずに済んだはずだと。
 
         …思いつけなかったんだよ。誰も傷つけずきれいな思い出にさせる方法なんて。美化さ
 
         れた恋心ほど、心深く残るから。
 
         「サイテー」
 
         「ははは、本当に、ねえ」
 
         すっかり自分に酔っていたから忘れられないその声がするまで、背中をとられていたこ
 
         とに気づけなかった。竦んで、振り返ることも、できない。
 
         「近衛氏、殴っちゃってよ」
 
         「う〜ん、そうしたいのは山々だけどね、問題が…ああ忍。君がこのお兄さんを叩くの
 
          はどうかな?」
 
         「…早希ちゃんがそうしてほしいなら」
 
         「………」
 
         「欲しいよ〜」
 
         「うん、わかった」
 
         舌っ足らずな返事が聞こえるのと同時に、向こうずねに走るかなりの衝撃。
 
         だが一番の衝撃は、流れた時間かも知れない。
 
         見下ろした小さな子供は、死ぬほど羨んだあの男にそっくりの顔をしていた。
 
         「ダメよ、忍ちゃん。お兄ちゃん痛いよ」
 
         慌てて駆け寄って来た一回り小さな女の子は、笑顔が早希ちゃんそっくりだ。そのほか
 
         の造作は誰に似たんだと言うくらい両親と違って、でも人形の様に可愛いんだけど。
 
         この子達はもしかして、あんとき早希ちゃんの中にいた赤ん坊か?えっと、3…3歳か?
 
         それにしちゃ、随分と口の回る息子だった気がするが…いやそうじゃない、そうじゃな
 
         くて…。
 
         「早希、ちゃん?」
 
         怖々振り返って、よく知った顔が怒りを湛えているのに苦笑する。
 
         「昔の方が、女の子の扱い、上手かったんじゃない?」
 
         久しぶりに交わす一言がこれとは…変わってねえのな全く。
 
         仁王立ちする様も、威勢のいいとこもまんまで、唯一の違いと言えば人の親になってる
 
         ってとこか。姿形も、4年やそこらじゃそう変化はない。
 
         「ひどいこと言うねぇ…俺は、今でもフェミニストだぜ?」
 
         「見え見えの下らない芝居して、フェミニスト?笑わせるわ。少し会わない間に頭腐っ
 
          たね」
 
         言い切って皮肉に唇を上げた早希ちゃんは、俺が知らない顔をした。
 
         そう、知らない。こんなに艶っぽく怒りで表情を輝かせる女を。あの頃にはなかった自
 
         信で堂々と俺と渡り合う女を。
 
         身長差を埋めるため乱暴に掴んだ胸元を引き寄せて、彼女は更に言い募る。
 
         「振るんでも、捕まえるんでも一対一、正々堂々勝負しなさいよ。自分だけ悪者になっ
 
          て済まそうとすんじゃない。納得できない恋の終わりほど、引きずるモノはないわよ」
 
         いっぱしの口をきくじゃないか、恋愛経験もないくせに。
 
         …とは、言えなかった。あん時と同じ、女の顔してやがったから。
 
         恋も愛も経験を積むから上手なんじゃない。要は質の問題で、交わったのかどうかさえ
 
         もあやふやな人間関係をいくら重ねても、一人愛し続けた気持ちには到底深みで敵わな
 
         いのだ、と。
 
         乗り越えてきた女に教わった。4年で熟成して、まだ飽きたらず成長を続ける早希ちゃ
 
         んに、この俺が。
 
         「………いい女になったな」
 
         「そっちはガキのまんまね」
 
         見交わした視線で、カラリと時間が動き出す。止まったままだった時計が、軋みをあげ
 
         てゆっくりと。
 
         立ち止まって、手に入らなかったモノを惜しんでも、待っていてくれるモノなどない。
 
         めまぐるしく変化し、進化し、新しい自分を構成していくのだ。目の前の彼女が実証し
 
         たように。少女は女を纏い始めて。
 
         過去は懐かしむもの。留まるために存在してはいないのだから。
 
         「ねえ、あたしにきちんと話をしろって説教した先輩は、健在?」
 
         ニタリとどこかの男に似た表情で詰め寄られれば、一瞬言葉に詰まる。
 
         「…偉そうで、イヤな男だったねぇ」
 
         「ははは、それを言うならバカな男でしょ。君には随分塩を送ってもらったよ」
 
         「好きで送ったんじゃねえよ!」
 
         大っ嫌いだ、こいつ。早希ちゃんの大変化に比べて、ちっとも成長の跡が見られねえじ
 
         ゃねえか。減らず口め。
 
         「ちったあ感謝しろよ。下手するとその子らの親父は、俺だったかも知れねえんだぞ」
 
         「それは、いやだ」
 
         返事は意外な場所から帰ってきて。足下の、まああれだ、子供が言ったんだよこのセリ
 
         フを。意味わかってんのか?
 
         訝しんだ俺の視線に、苦笑付きで説明をしてくれたのは悪魔だった。
 
         「忍は、他の子より成長が早くてね。子供らしくないんだよ。それでも身内の前でなけ
 
          れば本性を現すこともないんだけど…」
 
         どうしてか、君は…ってなんだその憐れみの目は!
 
         「お父さんが好きな訳じゃないけど、それでも最低なあなたがお父さんになるのはもっ
 
          とイヤだ」
 
         あどけなさはあるものの、冷気を纏った美貌をお持ちのお坊ちゃんは、聡明な物言いを
 
         なさる。父親をサラリと否定して、赤の他人の俺をばっさり斬りやがった。
 
         「あのな、温厚な俺でもいきなりそれは、怒るぞ」
 
         初対面じゃないか!
 
         「あなた、女の人泣かせてたでしょ?大お祖母様も、伯父さんも女の人を泣かせる男は
 
          最低だって言ってたよ。お父さんも昔最低だったけど、今は早希ちゃんが泣いてない
 
          から許してあげてるの。でも、その人泣いてるから、あなたは嫌い」
 
         小さな彼は横目で星野を窺うと、反論はあるかと尊大な態度で見上げてくる。
 
         彼が子供でホントによかったよ。仮に、この子が俺よりでかくて年も近かったりしたら、
 
         へこんで当分立ち直れないかも知れない。カッとして殴りかかるんじゃないかって?明
 
         らかに自分に非があるのに、そんなマネできるかよ。図星指されて怒り狂うなんざ、ガ
 
         キのすることだ。
 
         「お祖母ちゃん…なんて事を子供に吹き込むかな」
 
         「それを言うなら、将彦兄さんだよ。忍があの人に似たら、どうしてくれるんだ」
 
         夫婦が交わす内々の会話は放っておくとして、取り敢えず俺はしなきゃならないことが
 
         あるわけだ。
 
         足下の少年としゃがみ込んで視線を合わせると、その柔らかな髪をくしゃりとかき回し
 
         視線を合わせる。
 
         「お前の言う通りだな。きっちり謝ってくるわ。もし許してもらえたら、嫌いってのは
 
          取り消してくれるか?」
 
         子供相手でも嫌われるのは、つらいからさ。
 
         「うん、いいよ。きちんとごめんなさいができる人は、好き」
 
         悪魔に大変似ている彼だが、笑顔と切り替えの早さは早希ちゃんにそっくりだった。
 
         将来、楽しみな逸材だ。
 
 
 
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