17.side純太     
 
 
         「イヤな場所だねぇ、ここは」
 
         埃くさい部屋で紫煙を上げながら、本棚に埋もれて沈みゆく夕日を眺める。
 
         あまりいい思い出のない旧校舎は、残っていることが驚きなほどガタが来ていて、それ
 
         故になんだか哀愁が漂っているようだった。
 
         この前ここに来た時は感情を抑えきれず、アイツの首筋を赤く染めたんだっけな。
 
         からかって遊ぶに適した気の強い少女が、俺の腕の中で子供みたいに泣いて他の男を好
 
         きだと言った。人の物なんだって実感なかったのに、派手にキスマークつけた首筋にい
 
         い知れない怒りを感じて…恋は始まったんだ。
 
         いつでも本気になれば奪えると、それほど不安定な仲に見えたのに、じっくり熟成され
 
         た気持ちが最大のピンチを乗り越えた瞬間、長い片思いも終わっちまった。
 
         いつだって自分の気持ちに真っ直ぐで感情豊か、無謀と思える賭けでもぶつかっていけ
 
         るだけの強さを持った女。懐いた相手にだけ見せる、開けっぴろげな感情表現が愛しか
 
         った。
 
         「もう…4年か」
 
         足繁く通ったあの屋敷で、アイツは幸せなんだろうか。ひねくれすぎた愛情をストレー
 
         トの伝えた後、ヤツはバカなマネしてないだろうな。
 
         考えて、自嘲に頬を歪める。付き合った女もいた、本気で恋してると錯覚したこともあ
 
         った。けれど、今に至るまで追っているのはずっと、アイツの影だ。
 
         そう、あの生徒さえ。
 
         出会いからして似ていた。生徒には好かれていると自負する俺を素通りしていく様や、
 
         大人しそうな外見を裏切って触れると噛みつく剛胆さとか、クルクル変わる表情も何も
 
         かも思い出させて。
 
         閉じこめておきたかったのに、何者にも触れさせず抱えていたかったのに、行動まで似
 
         てやがる。
 
         ガキのくせに、女の顔してんだよな。好きなんだから答えろと、目で語るんだ。
 
         そう、あの男が好きだと泣いた、アイツにそっくりな顔をして、さ。
 
         「はは、早希ちゃん、やっぱ俺、アンタが好きだわ」
 
         抱え込んだ膝に額を埋めて、強く目を閉じる。
 
         星野ボタンは、早希ちゃんが逆立ちしても敵わない美人だが、俺があの子に惹かれるの
 
         はそんな部分じゃない。いちいち重なる懐かしい姿を追ってるんだ。
 
         補習なんて面倒を引き受けたのも、始めに感じたデ・ジャブを引きずっていたんだな。
 
         「気をつけねぇと、きっと…」
 
         面倒ごとになる、その言葉を飲み込んだ理由なんて知らない。
 
         ただ、口に出したらホントになりそうで恐かった、それだけに決まってる。
 
         もうこれ以上、不毛な感情に支配されるのはやめよう。
 
         どこにも早希ちゃんは、いねぇんだから。
 
 
 
         side ボタン
 
         昨夜は工藤さんの部屋でピザを食べて、一緒に送ってもらってハルカの部屋で寝た。
 
         泣きはらした目を見ても、お母さんも美月ちゃんも何も言わずにいてくれて、ただ緑お
 
         じさんやお父さんが騒ぐとうるさいから早く2階に行きなさいって、氷とタオルをくれ
 
         て。私は、家族に恵まれてるんだなって、久しぶりに実感しちゃった。
 
         「よし、じゃ行こうか」
 
         今だって、それはありがたいほど身に染みてる。
 
         数学準備室前で、ハルカが横にいてくれる、それが嬉しいから。
 
         「うん」
 
         頷いて通い慣れた準備室の扉をノックした。
 
         「失礼しまーす」
 
         返事を待たずに開けるのも、首を伸ばして先生の姿を探すのもいつもと同じ仕草で、違
 
         うのは一つだけ私の気持ち。弾むことなく、沈む。
 
         「おっせーぞぉ、ってなんだおまけつきかよ」
 
         相変わらずやる気ない姿勢でふんぞり返った先生は、見慣れない生徒の姿に一瞬戸惑っ
 
         てすぐに笑顔を作る。
 
         何一つ変わらないのが口惜しい。昨日のことは忘れてしまった、そんな様子が腹立たし
 
         い。
 
         でも、こんなものよね。取り乱した生徒にいちいち付き合ってたら、教師なんて続けら
 
         れるはずがない。適当にあしらって流してしまうのが、大人のやり方なんだろう。
 
         「おまけじゃないですよ、保護者代理です」
 
         どうしても鬱々とした思考迷路にはまってしまう私にかまわず、一歩進み出たハルカが
 
         にこりと微笑んで先生に用件を話し始めた。
 
         手には先日終わったばかりの実力テストのプリント。近年まれに見る好成績だと、お兄
 
         ちゃんがしきりに感心していた、アレ。
 
         「ご厚意で続けて頂いてる補習ですが、お陰様でこの通り50点を越える点数を頂けま
 
          した。ついては学園祭も近いことですし、しばらくこちらをお休みさせてもらえませ
 
          んか?」
 
         全く表情を変えずに淡々と言う美少女っていうのは、独特の迫力があるのよね。
 
         先生と一緒にいたいけれど、いられない。急に泣き出したりしたら、困らせるでしょ?
 
         だからこれは昨夜2人で考えた解決策。数学の担当教諭はいやでも森山純太でほぼ毎日
 
         顔は見るのだし、苦しいと我慢しながら2人でいるのは辛いだけだから、せめてほんの
 
         少し、気持ちの整理がつくまでは補習を休もうって。
 
         上手く説明できるだろうかと悩んでいたら、ハルカが替わりに言ってくれるって請け合
 
         ってくれたし。
 
         「あ〜…星野は、それでいいのか?」
 
         探る視線は華奢な背中に遮られる。
 
         「あたしは構いません」
 
         「…いや、お前じゃなくて、あっち」
 
         「星野、と仰ったじゃないですか」
 
         「言ったけどもさ、こう、状況とか空気、読めよ」
 
         「申し訳ありません、生来鈍いものではっきり仰って頂かないと理解できないんです」
 
         「はっきりってどうだよ?」
 
         「固有名詞で読んで頂ければ」
 
         「星野…星野…覚えてねえよ!担当してねえクラスまで」
 
         「教師、失格ですね。あたしが道を踏み外したら、責任は森山純太と調書に書きます」
 
         「それはなんの調書だ!」
 
         笑える見事な掛け合いは、決して伊達や酔狂じゃない。ハルカが時間を稼いでくれてい
 
         るのだ。
 
         きちんと自分で許可を取れと、目を見ても動じないだけの、気持ちを隠す術を覚えろと。
 
         うん、がんばるね、私も。この先もこの人の傍にいるために。
 
         「……展示が間に合わないの。先生も知ってるでしょ?定番の喫茶店」
 
         青くんみたいに、きれいな微笑みが浮かんでいるといい。心の中が透けない、不透明な
 
         表情であれば。
 
         「………嫌がってなかったか?ウエイトレス」
 
         僅か浮かぶ訝しみに心臓が跳ねても、欠片だって動揺は見せない。誤魔化すのでなく、
 
         隠すの。悟られたりしない。まだ手を尽くしたわけではないのに、玉砕なんてごめんだ
 
         から。
 
         「一致団結は永遠不滅のスローガンじゃない」
 
         「お前の口からそれを聞くとは、喜ばしいねぇ」
 
         少々の皮肉を込めた声に、でも承諾を得たのだとわかる。
 
         もぎ取ったのは2週間の猶予。短くはないその時間に、幾ばくかでも心を強くするから。
 
         「がんばれ」
 
         囁かれたハルカの応援に、深く頷いた。
 
 
         忙しいと、あっという間にその時は来る。
 
         「かわいいね」
 
         ハルカとお茶を飲みに現れた工藤さんは、短すぎるスカートをそう評した。
 
         「そうですか?なんか、ひどく恥ずかしいんですけど…」
 
         ろくなメニューも考えず、どうして衣装にだけこうも凝ったのか。立案企画した実行委
 
         員に果てしない不信感を覚えるものの後の祭りで、シンプルではあるけどかがむと下着
 
         が見えそうな格好で一日を過ごすことになって私は憂鬱極まりない。
 
         「ボタンちゃんにはよく似合ってます。ほら、お客さんも君目当ての人が多いんじゃな
 
          いかな」
 
         確かに、指し示された教室内には人が溢れている。閑古鳥が鳴いてるハルカのクラスの
 
         お化け屋敷より盛況なんだろう。
 
         だけど、ね、半数はプロのモデルと引けを取らないカレシって言う組み合わせを見てい
 
         る気がするのよ。
 
         制服のままでも目を惹くクールビューティーと、長身でソフトジャケットなんか着込ん
 
         でるせいか大人の魅力全開の男の人。
 
         男子のひそひそはハルカに、女子のきゃーきゃーは工藤さんに向いてるもん。残り半分
 
         はマニアな趣味のお兄さん方ってとこ。
 
         「うんうん、いいと思う。ボタンは何着ても可愛い〜」
 
         無責任にへらっと笑う従妹が、一瞬敵に見えたのは何故だろう。やっぱり私が困ってる
 
         の楽しんでますって顔に出てるから?そうあよね、眺めてるだけなら害はないもんね。
 
         「ハルカがこれ着たらもっと似合うと思う。ね、工藤さんもいいと思いません?」
 
         大好きな人の前でこれを着るのと、大好きな人がこれを着るの想像してみればいいのに。
 
         ふふ、ハルカも工藤さんもやっぱり引きつるんだから。
 
         「う〜ん、着るのはちょっと…?」
 
         「俺も、他人に見せたくないな」
 
         これを機に大人しくなった2人は、コーヒーを二つというなんの変哲もないオーダーを
 
         出して一段声を落とした。
 
         「先生のこと、大丈夫?」
 
         「もう、来た?」
 
         …ただでさえ、お互いに時間を合わせるのが大変なのに、学園祭に工藤さんが現れたの
 
         はきっとそれが理由。ハルカと一緒に心配しててくれたんだね。
 
         「平気。ホントに忙しくて授業中以外見かけなかったもん。ここにもまだ来てないよ」
 
         先生は人気者だから、どこかの出し物に引っ張り出されたとも聞いたしわざわざ来ると
 
         は思えない。
 
         それでいい、それがいい。
 
         「そっか。じゃ、お昼一緒に食べよ」
 
         もうすぐ正午を指す時計をしゃくって、微笑んだハルカに私は眉をしかめた。はっきり
 
         わかるよう大げさなくらいのリアクションで。
 
         せっかく工藤さんがいるのに、なに言い出すかな、もう。
 
         「い・や。どうしてわざわざあてられに行かなきゃならないのよ。友達と屋台巡りする
 
          ことになってるから」
 
         気持ちだけで充分と、まだ何か言いたげなハルカを振り切って大分サボっちゃった仕事
 
         に戻ろうと踵を返した時だった。
 
         固まってた女子から上がる小さな悲鳴、男子のからかい。何?
 
         「すっごい、似合ってて変なの〜」
 
         「先生まだ学生で通用するんじゃねぇの?」
 
         「なんで学ラン?うちブレザーだろ?」
 
         「知らね。希望が多かったんだとよ」
 
         「え〜あたしスーツの方がいいって書いたのに〜」
 
         のそりと長身を揺らして室内に現れた姿に、見とれた。
 
         グレイに染まった髪と、腰までの学生服を羽織ったいかにも悪そうな男が、やっぱり格
 
         好良かったから。いつもが悪いって訳じゃないけど、異常なまでに似合うからぼうっと
 
         してしまうじゃない。
 
         「よ〜星野。久しぶり〜」
 
         話をしなかったことなどなかった様に、サラリと声をかけられる余裕が、むかつくわ。
 
 
 
                HOME    NEXT?
 
 
 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送