14.side夏来     
 
         話しはよくわからないし、正直なんで俺が写真を撮られなきゃならないのか理解不能だ。
 
         彼女は1人で充分、片桐さんの新曲のイメージを満たしている。
 
         無垢でいて一瞬で女に変わる、脆くアンバランスな少女。
 
         ジャケットモデルにあの人がケチをつけるわけだ。透明なまでの美貌と、人目を惹くオ
 
         ーラは彼女しか持ち得ない、最高の個性なんだから。
 
         「だから…困るよな」
 
         辿り着いた部屋で目についたパイプ椅子に体を預けた俺は、長いこと詰めていた息を吐
 
         き出した。
 
         目を閉じれば、網膜に焼き付いた表情が鮮やかに浮かび上がる。
 
         『あなたが…』
 
         ハシバミ色のガラス玉のような瞳が捕らえるのは俺の全てで、思わず触れたくなった唇
 
         からは柔らかな告白が零れるところだったのに。
 
         割り込んだ片桐さんが彼女を取り上げたのだ。
 
         指には壊れそうに細い肩の感触が残って、耳には震えるソプラノがエコーする。
 
         抱きしめたらきっと、ぴったり俺の腕に収まるに違いない。
 
         触れたらきっと、もっと甘い声で鳴くんだ。
 
         どんな女の子にも抱いたこと無い感情が俺を占めて、押さえられなほどの渇望が彼女を
 
         望む。
 
         落ちきった感情から逃れる術はなくて、あっけないほど単純に人間はたった1人を決め
 
         るんだと知った。
 
         知らないことだらけなのに、彼女が欲しい。あの子の全てを、俺のモノに。
 
         片桐さんに命じられた気乗りしない仕事も、間近で彼女に会えるチャンスだと思えば叫
 
         びだしたいほど嬉しいのだ。
 
         「やっば…」
 
         「ホントになぁ、モデルやれっつーたび膨れてたお前が、なに?その顔」
 
         体中の熱が顔に一点集中したのを隠そうと、頭を両腕で抱え込むと同時にカズさんのか
 
         らかい声がする。
 
         くつくつと奇妙な虫みたいに押し殺した笑いが腹立たしかったけど、反論のしようもな
 
         いんだよ。嬉しくて、緩みそうになる表情を押さえるのに精一杯なんだから。
 
         ぱっとみ、変態みたいだ。マジ、やばいって。
 
         「もしかして、ハルカちゃんに惚れちゃった?」
 
         バサリと頭の上に落とされた衣装からしかめっ面を覗かせた俺は、くわえ煙草でにやつ
 
         くカズさんを思い切り睨みつけた。
 
         自分でもわかるほどつり上がったまなじりと、への字に曲がった口が的確に怒りを示す。
 
         「なんだよ、いっちょまえに照れ隠しか?別に恥ずかしかないだろ、一目惚れは」
 
         「違いますよ。気安くハルカちゃんなんて呼ぶから、面白くないんです」
 
         「はぁ?」
 
         途端にカズさんの笑いは引っ込んで、代わりに現れる心底呆れたって表情にほんの少し
 
         気分が良くなった。
 
         揶揄の対象になるほど軽い想いじゃない、本気の子供を笑えるほど真剣に生きてる大人
 
         なんて見たことない。
 
         だから、この気持ちを笑うのは許さない。
 
         「彼女、片桐さんの血縁なんですか?」
 
         これ以上ビッグアーティスト様を不機嫌にさせるのは得策じゃない。
 
         Tシャツを脱ぎ捨てながら、チラリと視線を流した先でカズさんが小さく頷く。
 
         「おう、姪なんだと」
 
         癖のある声に整いすぎた顔立ちの片桐さんとあの子は似ていないけれど、成る程と納得
 
         できることもある。
 
         存在感に華。彼女も息子だという彼も、片桐さんと並んで遜色ない光を放っていた。
 
         「じゃ、上手く取り入れば有利になりますかね?」
 
         素肌に羽織ったシャツのボタンを真ん中で2つほど留めて、後は開けておく。
 
         「どっちに取り入る気だよ。あ、パンツはそのまんまでいいや」
 
         …確かに黒のスリムジーンズだけど、おおちゃくなスタイリストだな。
 
         ざっと鏡で全身をチェックした俺は、振り返ってテーブルに腰を預けるカズさんを鼻で
 
         笑った。
 
         「片桐さんに決まってるでしょ?好きな子に取り入ってどうすんですか」
 
         「え…そりゃ、スタイリストとしての足がかりにあの子を利用すれば、芸能界と太いパ
 
          イプができるだろ」
 
         言い淀む程度にそれが良くないことだと知っていて、言葉巧みに俺を丸め込まないから
 
         カズさんは仕事でもプライベートでも師匠なのだ。
 
         正しい社会人は、一緒にいると安心できる。
 
         「自分がしないことは人に勧めるもんじゃないですよ」
 
         苦笑いの隣をすり抜けて、スタジオを目指す。そう、今俺がすべきは彼女の隣に並ぶこ
 
         と。聞き逃したあのセリフの続きを、もらうこと。
 
 
 
         sideハルカ
 
         ほんの10分程度だと思う。薫さんの希望通り着替えを済ませて現れた彼は、唐突に命
 
         じられた役に対する混乱と迷いをすっかり消して現れた。
 
         スタッフに歩み寄って挨拶する姿は、堂々として格好良くて。
 
         勇気がある上、根性が据わってるのね。ちょっと分けて欲しいパニくってるあたしにそ
 
         の落ち着きを。
 
         「ハルカちゃん、ここ見てくれる?体ごと向き直ってね〜」
 
         しかし、カメラマンさんの注文は容赦ないのだ。
 
         純白にうねる大量の布の中、あっち向けこっち向けってそんな器用じゃないのに。
 
         絡まって上手く動けないんだって…くうっ!
 
         生まれつき頑固な表情筋のおかげで、あたしの内情は周囲に知れない。
 
         例外は秋君と薫さんくらいなもので、大抵は変化無い顔色に落ち着いてるとか冷静だな
 
         んて見当違いな評価を下しているのだ。
 
         違うのに、ただ要領の悪さが上手く隠れるだけで、おつりが来るほど焦って慌ててるの。
 
         もぞもぞと埋まった足を引っ張り出している姿を流し見た薫さんが、ニヤリと唇を歪め
 
         る。人の悪い、家じゃ滅多に見せない顔。
 
         なんか、企んでる。
 
         「おい、えっと工藤!助けてやって」
 
         ほら、やっぱり。したり顔であたしを見たりして、すっごいむかつく!
 
         「…自分が家一番のいじめられっ子だって、忘れてるな。青くん秘蔵のブランデー酔っ
 
          て帰って飲み尽くしたことバラしてやる。お父さんの分の夜食を勝手に食べたこと、
 
          チクってやる!」
 
         「え、どこか痛かったりする?」
 
         すっかりいつもの調子で毒舌を吐いていたから気づかなかった。
 
         息づかいが聞こえるほど近く、彼が微笑んでいることに。うっかり動けばあちこちが触
 
         れてしまう、そんな距離だって。
 
         小声だから、聞こえてないよね…?まさか、ね?
 
         「え、あ、え」
 
         「動かないで。なんだか布がね、ひどく絡み合ってて…」
 
         セーフのようです。何事もなかったって顔してますから。
 
         わわわっ!それどころじゃないのよ、指が足に触ってるっ!スカートがまくれちゃって
 
         るから、膝が見えるのがひどく気恥ずかしくて、その…
 
         「あ、あの、やめて…!」
 
         しまったと思った時には、力の限り突き飛ばした後だった。
 
         一歩分離れて、しりもちをついた彼の呆然とした顔が恐くて、失礼なほどあからさまに
 
         あたしは目を逸らした。
 
         どうしよう…好きなのに、これじゃ嫌ってるみたいじゃない。かといって上手いフォロ
 
         ーも出てこないし、どうしたらいいの?どうするのが正解なの?
 
         情けないことにあたしが取った行動は、手近なものに隠れること。
 
         この場合は掃いて捨てるほどある布の山に頭から潜り込むって言う、子供みたいなマネ
 
         をしてしまったのだけど、これって余計に失笑を買うんじゃない?…困った。
 
         果てしなく今更だと、被った布の下で青くなっても遅くって、ノーリアクションに凍り
 
         付いてざわつく周囲に頭を抱えるあたしはお先真っ暗なのである。
 
         「…う?」
 
         自分しかいないはずの暑苦しい隠れ家に、フワリと風が舞い込むまでは。
 
         振り返って、つんつん立った黒髪を認めるまでは。
 
         どうして、彼がこの中に?!なんでだんだん近づいてくるの?!
 
         …で、反射的に逃げるあたしはとことん恋愛に不向きなんだと自覚した。
 
         好きな人から必死で逃げるおばかさんはそういるまい。山ほどギャラリーがいる場所か
 
         ら薄布一枚とはいえ隔離されて、絶好のチャンスじゃない。
 
         タイミングとしては最高、この現状からはきっと望みうる限り最上なのに…。
 
         「危ないよ」
 
         足首に忌々しい呪縛がかかっていると忘れ、必死に藻掻いていたあたしはあっけなく捕
 
         縛される。
 
         緩やかに腰に回った腕に絡め取られ、背中から広い胸の中に、堕ちる。
 
         その熱さを、あたしは一生忘れないに違いない。耳にかかる吐息を、絶対。
 
         「…俺が、嫌い?」
 
         細く長い指が、優雅に布を解いていた。
 
         時折ふくらはぎや足首に触れながら全身を毒して、捕らえた小鳥の羽を落とすよう巧妙
 
         な罠を、あたしに仕掛けて。
 
         声が、まるで自白剤のようよ。奥底に浸透して、隠した答えを引きづり出してしまうも
 
         の。
 
         「ねえ、教えて…?さっき言いかけた言葉を、続きを」
 
         ああ、追加された毒が全身を侵して…逆らえない。
 
         神経を焼き切られたら羞恥も死んで、あれほど困難に思えた告白がスルリと口をつく。
 
         「あなたが…好き」
 
         背を向けているのを幸いに、更に言い募る。溢れる前に、全て、全て…
 
         「話したこともないのに、あなたが好き。初めて見たあの日から、ここにあなたが居る」
 
         苦しい胸に手を当てると、そっと添えられたのは大きく骨張った彼の温もりで、既に暴
 
         走寸前まで追いつめられていた心臓は危うく止まりかけたほど。
 
         洒落にならない…告白で心臓麻痺なんて、いやだわ。
 
         なのに、失神寸前のあたしをくるりと反転させて視線を絡めた彼は、額を合わせて微笑
 
         むから、その笑顔に撃沈。
 
         力が抜けて、なんか軟体動物のようにヘロヘロと…。
 
         「俺も、君が好きです。…たぶんね、一目惚れです」
 
         「!…っ…」
 
         密着は、まずいと思ったんだけどね、仕方ないの。力が入らないんだもん。
 
         もたれかかった胸はちょうどボタンのかかっていない素肌で、しかもそこは鼓動が感じ
 
         取れる唯一の場所で。
 
         やけに早い、力強い音に驚いて瞳をあげる。
 
         「あのね、告白はされる方もドキドキするもんですよ?」
 
         ちょっと赤い頬と照れた笑いに同じだと思えたら自然と唇が綻んだ。
 
         「…好きです…」
 
         「好きです」
 
         バカみたいに告白しあって、遠近感が掴めなくなるほど顔が近づいた頃、目を閉じる。
 
         羽のように触れる唇に、意識が遠いていっそう彼に密着した。
 
         髪に埋もれる指先が、背に触れる腕が、繰り返し恋を語るからもう、あたしはあなたの
 
         もの。
 
         震える掌に重なる心音が降伏を伝えるから、あなたはあたしのもの。
 
         夢中で互いを確かめ合っている最中に、目蓋を通す光が鋭くなったと感じた時は遅かっ
 
         た。
 
         耳障りなシャッター音から庇う彼の背も、最早手遅れなのは疑いようもない。
 
         やられた…薫さんの策略に嵌ったわ。
 
         あの満足げな表情、秋君の複雑な顔、周囲の同情を色濃く漂わせる空気、どれをとって
 
         も秘すべきキスの瞬間が日本全国のCDショップに並ぶことは間違いないのよ。
 
         乙女の純情を…学生のマジ恋愛を…舐めてるわね!
 
         「許さないから、片桐薫…!」
 
         波乱に満ちたスタートは、けれどやっぱり幸せなのだ。
 
 
 
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