12.side夏来(ナツキ)
 
         「今日の子は、手がかからないんだよな」
 
         ラックから純白のワンピースを取り上げてカズさんが苦笑する。
 
         襟元がスクエアという以外特徴のないそれは、確かにコーディネイトするほどのもので
 
         なし、一見誰が着ても似合いそうなデザインだ。
 
         でも、だからこそ仕事で使う時は慎重にならざる得ないんだ。
 
         余程の個性がなければ容姿が消える。白にとけ込んで表情がぼやけるから、目を見張る
 
         ほどの輝きがなければこれ一枚を渡すには勇気がいる。
 
         つまりモデルがいいとカズさんは嘆いているんだろう。飾りがいがないと。
 
         「でも、キレイなだけのモデルで、片桐さんの希望に添えるんですか?」
 
         覚えてるだけで3人、タイプの違うモデルがだめ出しをされていたんじゃなかったかな。
 
         皆一様に優れた容姿を持ち、十二分に使えると思われたのに片桐薫は首を縦には振らな
 
         かった。
 
         曲のイメージからかけ離れているから使えない、どうしても納得がいかないとかれこれ
 
         3週間もごねて許されるんだから、大物は違うって事か。
 
         今回も無駄働きになるんじゃないのかと、言葉の端々にイヤミのスパイスを着せた俺に、
 
         カズさんはそれはないと手を振ると足早にドアをすり抜ける。
 
         「歌のイメージモデルを連れてきたらしいからな、なにより本人に会うと納得できるん
 
          だよ。お前もあとで来れば?」
 
         スタジオでかかりっぱなしだったせいで覚えた歌詞が、頭の中で強く光を放った。
 
         あの詩に書かれた本人が来てる?…絶対、顔を拝みに行かなきゃな。
 
 
 
         ずっとピリピリしていた空気が和やかなのは、片桐さんが機嫌良く中心で笑っているか
 
         らなんだろうか?
 
         いや、そうとも言えないな。若い男に殴られてるじゃないか。
 
         無謀…違う、命知らずな奴だ。ここにいるって事は将来、音楽活動をしたいのかカメラ
 
         マンになりたいのか、いずれにしたって芸能界に関わりたいはずなのに、彼を敵に回し
 
         てやっていけるわけがない。
 
         見る限り顔は…平均より大分上で、身長も纏うオーラも常人とは一線を画す光が内包さ
 
         れているから、順風満帆な人生を送れるはずだったろうに…お気の毒。
 
         仲間に入れてもらおうとカズさんも混じる人の輪に近づくと、いきなり怒鳴り声が聞こ
 
         えてきた。
 
         「皆さんの邪魔すんなよ、くそオヤジ!」
 
         鈍い殴打音に小さなうめきが重なって、直後低い声が続く。
 
         「…ってーな、お父様でありロック界の大御所を殴るとはどういう了見だ」
 
         「だ、だだだっ!!放せバカ!えらそうに自分で大御所言うな!緑おじに、言いつける
 
          ぞ!!」
 
         「え…それは勘弁…じゃねえ!父親脅すってことは、小遣いストップされてーんだな!」
 
         「とっくにもらってねぇよ!母ちゃんに大学はいると同時に止められてんだ!」
 
         「なにっ!さすが花、良くできてるな…そんなら学費ストップしてやる!」
 
         「やってみろ!青おじにオヤジの名前で借金するぞ!」
 
         …ぎゃーぎゃー続く醜い言い争いが、コブラツイストをかけた父親とかけられた息子の
 
         間で展開されている絵面を見れば、いっそ微笑ましい。
 
         家庭崩壊もコミュニケーション不足も、芸能人にありがちな一家離散もない平和な家庭
 
         が想像つくくらい、素晴らしい絆があるんだろう。
 
         ただし、驚愕がそこに含まれなかった場合に限る。
 
         よく見ればそこここに親のDNAを覗かせる彼は間違いなく、片桐薫の実子だ。
 
         だが待て、この人結婚してたのか?明らかに俺より年上の息子がいるって、一体いくつ
 
         の時の子供?えっと、今の年齢が…
 
         「2人ともいい加減にしないと静、呼ぶよ?」
 
         俺の物思いも、男2人の発する騒音も突き通す凛とした響きが、鼓膜を通して脳に浸透
 
         して、彼女を認識させる。
 
         強烈に、鮮烈に、後ろ姿しか見えない少女が全身に刻まれた。
 
         あの子だ…片桐さんが選んだ、カズさんが話した、モデル。
 
         「や、静は勘弁してくれ。あいつの子供にあるまじき冷徹さがある人を彷彿とさせるっ
 
          て言うか、もしかして青くんの息子なんじゃないかと疑いを抱かせるって言うか…」
 
         「奴は絶対春ちゃんに喋るんだ。しかも脚色するから、益々俺の立場が悪くなって…」
 
         異口同音に怯えを口にする2人の懇願は、果たして彼女に通じたらしい。
 
         わかればいいと鷹揚に頷いて彼等をスタッフに向き直らせると、少女は率先して頭を下
 
         げる。
 
         「お騒がせした上に、貴重な時間を無駄にして申し訳ありませんでした。以後なきよう、
 
          気をつけますので」
 
         全員に誠意が伝わるように、少しずつ角度を変えるからやっと、顔が見えた。
 
         整った目鼻立ち、長い漆黒の髪、透けるほど白い肌に染め上げた赤い唇。
 
         まだあどけなさの残る表情と、妙に大人びたその口調とのギャップにはっきりしたイメ
 
         ージが掴めない。
 
         この子の本質は?少女なのか、女なのか。世慣れているようでいて、無垢な空気を纏う、
 
         幼い表情をするくせに、動じない態度が口調が、深い2面性を匂わせる。
 
         ホントだ、彼女は『イノセント』片桐薫が描いた少女、そのものだ。
 
         「…えっ…」
 
         俺の正面で上げられた顔がスローモーションで止まり、緩やかに上がっていた口角が一
 
         瞬で引き結ばれる。
 
         少女が消えて、女が走り、余裕が溶けて緊張が残った。
 
         それは、3つ,4つ年上だった彼女が良く見せた表情。無邪気に笑ったそのあとで、俺
 
         を誘う顔に似ていて。
 
         どくんと血が逆流する。一瞬で彼女は堕ちた。
 
         聖なるモノから汚れた存在に。恋が人形を人間に変える。
 
         「君…」
 
         「っ!」
 
         伸ばした指からスルリと逃げて、戸惑う彼女が背を向けた。
 
         「おい、ハルカ?!」
 
         留める声に振り向くことなく、走り出した背中を、追い掛けたのは何故だろう。
 
 
 
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