1.ボーダーの受難−前編−
 
 
                   何故こんな奇天烈な遊びが世にまかり通っているのかしら?
 
                   「ぴぎゃ!」
 
                   ご機嫌に奇妙な声を上げて、顔から倒れ込んだ先は極寒地獄。
 
                   「ちょっと、一体何度転べば気が済むの?」
 
                   頭上から聞こえる奈月のうんざりした声に答える元気もなく、私は自由の利かない足に四
 
                   苦八苦しながら何とか上体を起こすことに成功した。
 
                   「ゲレンデは滑り降りるところで、転げ落ちる場所じゃないのは知ってる?」
 
                   器用に一枚板に乗った彼女は腕組みをしてご立腹だけどね、そもそも全くの初心者を言い
 
                   くるめて連行してきた責任は棚上げですか?
 
                   「冬はこたつで丸くなるのがライフスタイルなの。わざわざ雪深い山奥で、アクロバティ
 
                     ックな動きをご披露できる運動神経は持ち合わせてない」
 
                   「たかがスノボのどこがアクロバットよ。子供でさえも乗りこなすのに」
 
                   そう言って送られた視線の先に、小学生が颯爽と…。
 
                   「このあたしが男の誘いも断ってつきっきりで教えてるのよ?なのに午前中かけてゲレン
 
                     デに穴製造しただけって何」
 
                   「好みじゃないから断っただけのくせに…」
 
                   「口答えとはいい度胸じゃない。幸いすぐそこが終点だしね、自力で降りといで」
 
                   あ、失敗。
 
                   きっちり怒った奈月は後ろも見ずにゲレンデを滑走して消えた。
 
                   人より恵まれた容姿をしてる彼女は、何をやらせても様になる。高校時代からかれこれ4
 
                   年の付き合いだけど、全てにおいて凡人よりワンランク上を行く奈月は、ごく普通の人間
 
                   でしかない私とは月とすっぽんで、スノボにしたってできない苦労というのが理解できな
 
                   いのだ。
 
                   確かに今朝ついてから一生懸命教えてくれたわよ。なだらかな初心者コースで不満も言わ
 
                   ずね。
 
                   ただ、教え方が悪いの。
 
                   『立ちなさいってば』
 
                   『バランス取るの!』
 
                   『曲がれって言ってんでしょ!!』
 
                   口だけで横からがなられたって、上達するわけないじゃない。
 
                   挙げ句、男に声かけられるたびその罵声さえも消えて、品定めが終わりスカだったと知る
 
                   や否やの八つ当たり。
 
                   決して悪い子じゃないんだけどね、ストレートなの感情表現が。ちょっと悲しいくらいね。
 
                   「さて、どうする?」
 
                   引っ張り上げてくれる手を失った以上、自力で立ち上がれる可能性はほぼゼロで、うっと
 
                   おしい板きれをむしり取ってやろうかと不自然な体勢で藻掻いてみる。
 
                   …今度は背中が雪にめり込んじゃった。
 
                   「大丈夫?」
 
                   不意にかけられた声は雲一つ無い青空にぽっかり浮かぶ黒い影。
 
                   朝から同種のセリフを何度も聞いたからナンパかなとも思ったけど、ビミョウに笑いを含
 
                   んだ声音じゃ違うだろう。
 
                   むしろ珍獣発見とか、あまりの憐れさについ…とかって方が正しい気がする。
 
                   「起きられる?」
 
                   「……鋭意努力中です」
 
                   親切なんだか不親切なんだか…。
 
                   眺めてたんならどういう状態なのかわかって欲しいって顔に出ちゃった、思いっきり。
 
                   それをどう取ったのか、ニュッと伸びた腕が嬉しくなっちゃう力強さでひっくり返ってた
 
                   視界を元に戻してくれる。
 
                   おお、久しぶりに二足歩行のホモサピエンスになれたじゃない。
 
                   「どうもありがとう…!」
 
                   頭を下げてまたひっくり返りそうになったのを、二の腕にめり込んだ腕が阻止してくれた。
 
                   ちょっと痛い、でも助かった。
 
                   「お礼はいいからちゃんと立って」
 
                   「重ね重ね申し訳…」
 
                   「だから、重心を崩さない」
 
                   いつの間にか教師口調になった声は背後から響いてきて、二の腕を固定する手も両サイド
 
                   からと、まるでスノボレッスン。
 
                   インストラクターの人だったのかな、もしかして。
 
                   「徐々に体重を前にかける、でも上半身は気持ち反り返って、そうそれで立ったら転ばな
 
                    いだろ?」
 
                   つっかえ棒がある安心感から言われた通りの姿勢が保てて、重心も体で覚えれば意外に簡
 
                   単に取ることができた。
 
                   「あらびっくり、立てちゃった」
 
                   何時間格闘しても決して会得することができなかった直立不動を決めながら、お礼も忘れ
 
                   て私ってば大喜び。
 
                   「さして驚いてるように聞こえないな」
 
                   喉の奥でくつくつと失礼な笑い声を上げながら、長身が視界に割り込んできた。
 
                   ちょっと長めでワックスに遊ばせた髪と、ミラーレンズのゴーグル、雪焼けしたのか浅黒
 
                   い素肌と白黒パンダなウエアはそれなりに見せた男達が多いゲレンデでも目立つこと請け
 
                   合いのルックスで、つまり格好いいってこと。
 
                   ゴーグルの下がどうなってるかによっては100点が20点に変わる可能性も大だけど。
 
                   「朝からずっと転びっぱなしだったろ?全く上達しないから気になっちゃいたんだけど、
 
                     埋まったまんま友達にも置き去りにされてるから、生きて帰れるのか心配になってな」
 
                   それを笑いながら言いますかね、普通。
 
                   心配してくれるのはありがたいけど、いくら私だってたかが数十メートル、転がったって
 
                   帰れる…と思う。
 
                   しかし、助けてもらったのも、立ち方教えてもらったのも事実なんだよね…複雑だけどこ
 
                   こはやっぱり。
 
                   「…ありがとうございました」
 
                   バランス崩さないように、ちょっとだけ頭を下げると、彼は口元をちょっと歪めて人でに
 
                   ぎわう休憩所を指さした。
 
                   「あそこについてから言えよ。この先は厳しいぞ」
 
                   「教えて頂けるんで…?」
 
                   「おう、きっちり責任持ってやる」
 
                   地獄に仏、ピンチにはヒーロー。
 
                   目的地まで転がり落ちる覚悟を決めてた私には、渡りに船だったんだけどね。30分後に
 
                   はそんな自分を激しく後悔する羽目になるのだ。
 
 
 
                   「おう、遼平!お前も逆ナンされたんか?」
 
                   熱気と暖房で熱い室内、最奥にいた彼の友人が手を挙げた。
 
                   「これが逆ナン成功で浮かれてる女に見えるのか?」
 
                   ええ、そうね。溶けた雪で髪はびしょびしょ、化粧なんかついているんだかいないんだか
 
                   な女が、こーんないい男口説こうなんておこがましいってものよ。
 
                   一緒にいるのさえ恥ずかしくなって、奈月を見つけたら退散しようとフロアを蟹歩きで移
 
                   動し始めたら、襟首を思いっきり捕まれた。
 
                   「どーこに行こうってんだ?お嬢ちゃん。あんたにはでっかい貸しがあるだろ?」
 
                   ん?と覗き込まれて硬直したのは言うまでもない。
 
                   この人、アタリだったの。ゴーグル取ったら200%増しの綺麗な顔で、強引な性格を引
 
                   いたって余りある大当たりって奴なのよぅ。
 
                   綺麗な男なんて見慣れない私が、這々の体(ほうほうのてい)で辿り着いた板置き場で素
 
                   顔を晒した彼から逃げ出したくなったはついさっきのこと。
 
                   まぁ、それがなくても逃走を図るに充分なスパルタを雪上で披露されてたんだけどね…明
 
                   日筋肉痛間違いなしよ。
 
                   足掻く私は完全無視で、隅のテーブルまで囚人の強制連行を終えた彼は、そこにいた女性
 
                   を見て小さな声を上げた。
 
                   「美香?」
 
                   「あー、奈月!」
 
                   ウエアを脱いだ軽装で、これまたハイレベルな男の人と並んで座った友人は、ぼろぼろの
 
                   私を見て心配するどころか噴き出したの。
 
                   あんまりな反応じゃない…。
 
                   「あんた、なんて格好してんのよ。さっき別れた時はそこまでひどくなかったでしょ?」
 
                   「いや、あんまりにも鈍くてな。自力で立てるようになるまでには既にこの状態だ。信じ
 
                    らんねー」
 
                   奈月の質問に答えたのは、椅子に私を座らせてた鬼教官。
 
                   言葉は悪いんだけど、こんなところは優しいんだよね。レッスン中はともかく、板外すの
 
                   も、ふらつく体を支えるのも、当然とばかりに手を貸してくれる。
 
                   「何?おまえが教えてたの?マジで?」
 
                   身を乗り出してきたお友達は、へーとか、ふーんとか言いながら、ニヤついた視線で彼を
 
                   見ていた。
 
                   「気持ち悪い笑い方してんじゃねーよ。俺だって自分の女にくらいボード教えるに決まっ
 
                     てんだろ」
 
                   「はぁ?!」
 
                   「嘘!」
 
                   「いつの間に?」
 
                   三者三様なれど、言い出しが完全にシンクロしたのは誰の耳にも突飛も無い発言だったから。
 
                   どうして30分一緒にいただけで付き合ってることになっちゃうの?
 
                   「私、あなたの名前も知らないんだけど…?」
 
                   そーよ、自己紹介もしない恋人同士がどこにいるって言うの。
 
                   当然の抗議に、そっかと納得した彼はズイっと顔を近づけてきた。
 
                   「倉本遼平、20の大学生。お前は?」
 
                   「え?」
 
                   「名前!」
 
                   「石井美香です」
 
                   低い声で脅すみたいな言い方に、怯えて名乗った私を満足げに抱き寄せた彼は、目の前で
 
                   呆然と成り行きを見守る友人達に高らかに宣言したのだ。
 
                   「これ、俺の女」
 
                   どうして?なんでそうなるのー!!
 
 
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                     とっても無謀な短編連載シリーズの開始です。
                     己への挑戦ですね、これは…。kie様に捧ぐ、欲しくなくてももらってー(懇願)
 
 
 
 
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