2.センセの本心。            
 
 
           生徒会室から真っ直ぐ化学室に来たって、充分遅れてる。
 
           呼び出しは、放課後すぐだったもの。さすがにもう、いないよね?
 
           夕闇が迫る教室に、首だけ伸ばして人影を探した。
 
           細身で長身、きっちり撫でつけた髪と真夏でもきちんと締めているネクタイがトレードマ
 
           ークのあの人は、昔から一分の隙もなく整えられている。
 
           恐いと怯える男子、ストイックでステキと騒ぐ女子。良くも悪くも話題と視線を集めるセ
 
           ンセだけど、あたしの気持ちは彼等ほど安っぽくない。
 
           初めて会ったあの夏の日からずっと、恋してるんだから。
 
           ママの再婚相手と一緒に現れた10も年上のお兄さんに、
 
           『仲良くしよう』
 
           って抱き上げられたその瞬間から片思い始めたんだもん。
 
           …そう、片思い。ちっとも相手にしてもらえない、恋。
 
           年齢を理由に、学業を理由に、就職、受験、お兄ちゃんにはなんでも正当な言い訳に代え
 
           る話術があるから。
 
           泣いて好きだと訴えてみても、家出すると脅そうがすかそうが、
 
           『冬花(ふゆか)に恋は早すぎる』
 
           にこりともせず言うの。
 
           だから、困らせてやるのよ。言いつけは破って、不用意に近づいて、叱られる前に離れて
 
           悪女みたいに誘いをかけて。
 
           気づいて、もう小学生だったあたしはいないわ。愛しいと心が思うのに、幼すぎる女はい
 
           ないんだから。
 
           淡かろうが危うかろうが、いつだって本気。あなたを留まらせ、躊躇わせるのが成熟して
 
           いない体だけだというなら、それすら障害になり得ないほどあたしは成長したのよ。
 
           ぐるりと見回した教室にセンセはない。
 
           上手く逃げおおせたから、きっとまた追ってくれるわね。当分はあの人の中に、あたしが
 
           満ちるわ。
 
           イタズラな笑みを刷いて首を引っ込めると、音をさせないよう細心の注意で引き戸を閉め
 
           ていく。
 
           カラ、リ、カラ、カラ…。
 
           「冬花のいたずらに付き合うのは、もう飽きた」
 
           不意に影を落とした声の主は、もちろん記憶の波を探るまでもないよく知った人のもので。
 
           痛覚を刺激する強さで捕らえられた右手ごと、体が化学室に押し入れられる。
 
           短い悲鳴を上げかけた口元はごつごつした掌に押さえつけられ、腕は捕まれたそのままを
 
           背に捩り上げられてしまった。
 
           逃れようと突きだした胸元が予期せぬ刺激に激しく上下して、強い鼓動を耳に伝える。
 
           無情に閉ざされた扉が立てる音が、やけに大きく教室を満たす。
 
           「怯えることはない。望んだのは、お前だ」
 
           額を濡らす冷たい汗に気づいたのか、吹きかけられた囁きはどこか嘲りを含んでいた。
 
           見えない表情が恐い。彼を支配するのは今、喜びなの?苛立ちなの?
 
           「大声は、出すなよ」
 
           ゆっくり外された唇の戒めの、合間を縫って深く吐息を。
 
           それは安堵か、期待か。あたしにもわからない、初めて出会う感情。
 
           「こんな、ことは…」
 
           「キスして欲しい、抱いて欲しい」
 
           しないで、と言いかけた言葉は途中で引き取られ、易々と本心を暴いたセンセは振り向い
 
           た先、見たこともない顔してた。
 
           いじわるで、エロティック。
 
           「子供に欲情する男は異常者だと言うが、その対象がたった1人なら、正常なのか?」
 
           乱暴に差し入れた指先で、ぐいっと緩められたネクタイに瞳が釘付けになる。
 
           「まだだ、と、私の相手をするには早いと教えてやったのに。それ程支配されるのが好き
 
            なのか」
 
           握ったままの手首を引いて、しっかり視線を合わせた彼は白衣のポケットから涼やかな音
 
           を立てる存在を出してみせる。
 
           殊更ゆっくりと、目の前まで掲げられたそれはシャランと鳴る爽やかな音色から対極にあ
 
           る、手錠。
 
           「な…に…?」
 
           沈みかけの夕日を受けて輝く鈍色に、声が体が、凍った。
 
           「笑顔は、私にだけ向けられればいい。目に映るのも触れるのも、ただの1人で。閉じこ
 
            めて、縛り付けて、私だけで冬花をいっぱいにする」
 
           恍惚と微笑む顔は、きっと犯罪者にもなれるいかれっぷりだから、危険人物に心を奪われ
 
           ていたんだと知る。
 
           手首にまとわりつく冷たい金属が、何故か熱くて。
 
           「さあ、繋がったぞ」
 
           てっきり自由を奪われるのだと思った手錠の先は、センセの骨太な腕にカチリとはまった。
 
           「本当はお前を雁字搦めに拘束してしまいたいがな、今日は特別だ」
 
           焦点が合わないほど近づいた彼が、口角を上げて囁くのは決して頷いてはならない約束。
 
           「契約をしよう。冬花の全てを私に渡すんだ。代わりに得るものは永遠の愛」
 
           ああ、それは…
 
           「欲しかったんだろ、ずっと。悪くない取引だと思うが?」
 
           ただ一つ望むのを、くれるというなら…。
 
           「優しく、して?」
 
           それさえ叶えてくれるなら、きっと価値のある取引に違いない。
 
           無言で触れ合った唇の隙間、前触れもなく差し入れられた舌に激しく口内を犯されて流し
 
           込まれた唾液を嚥下させられて、僅かにむせた。
 
           「契約成立だ」
 
           低い声。まさぐられるシャツの下も、下着の内も、そうと知らぬ間に翻弄される巧みさで
 
           あたしを壊して、請わして。
 
           「…やはり、な。ひどくされるのが、肌に合う」
 
           痛いと訴えるのにやめることなく乳房を揉みしだいていたセンセが、薄闇にも輝く指先を
 
           ニヤリと示してあたしの口に乱暴に付き入れた。
 
           外気に晒された下肢が、ひどく疼く。
 
           足らないと、埋めてくれてと、瞳が懇願する。
 
           「優しさを望むなら、その顔をやめろ」
 
           ずんっと重い痛みを発しながら体を引き裂いて、センセは食いしばった歯の間から命じた。
 
           「初めてあった日から、私なんかに自分を委ねようとするから、こんな目に合う」
 
           そう、そうなのか…。
 
           あたしが望んだのは彼の奧にいるもう1人の彼。
 
           純粋に過ぎる子供が本能で探し当て、本能で欲した支配者。
 
           「縛って、閉じこめて、センセの中に全部」
 
           「もう、そうしている」
 
           目尻から涙を舐め取って、くっと彼が嗤った。
 
 
 
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