近衛隆人の独り言。
 
 
           「不気味な笑い方、しないで下さい」
 
           やりかけの課題から顔を上げた早希は、微かにおびえを滲ませた視線でこちらを伺ってい
 
           る。下手を打つととんでもない仕返しをされるとわかっているのに、一言多いのが彼女の
 
           かわいらしさだ。それはもう、地獄の果てまで追いつめたくなる程度には。
 
           「後1分でできなかったら、何をしてもらおうかと考えていたら、つい楽しくてね」
 
           一瞬置いて顔色を青から赤に変えた早希が叫ぶ。
 
           「あんたの教え方じゃ、一生かかってもできんわっ!」
 
           はい、お仕置き決定。
 
           全く学習しないんだからね、僕の奥さんは。ホント愚か。
 
           初対面で引っかかれたのは、その後の関係を決定づけるいい材料になった。
 
           大人しく座敷で僕を待っていれば、一生君好みの素敵な旦那様を演じてあげたのに、あの
 
           行動で墓穴を掘ったコトを早希は知らない。
 
           彼女をからかうのは心底愉快だ。少しつつけばムキになるし、うっかりな失言もぼろぼろ
 
           こぼす。それを逆手にとっていじめるのだが、、どんなに追い込まれてもへこたれないから
 
           結果エスカレートしてしまう。
 
           ところが、こんなに素敵な飼い犬を僕は捨てようと決めたコトがあった。
 
           「恋愛しないで結婚はできない」
 
           実の祖父のように慕う会長のため、かなり年の離れた女の子と一緒になるくらいかまわな
 
           いと思っていたのに、まさか恋愛感情を持ち出されるとは。
 
           僕の唯一の汚点、人生最大の失敗と言っても過言ではない恋とプロポーズ。
 
           少々気に入ったくらいの女の子に、大した感情はない。打算の結婚に誠実な申し込みなど
 
           必要だとも思えない。
 
           煩わしい要求に答えるのも、ドロドロの愛情に一喜一憂するのも好まないなら、切り捨て
 
           ればいいんだ。
 
           よく考えもせず断ち切った関係は、その後の1ヶ月僕を非常に退屈させた。
 
           めまぐるしく感情が変化して、思ったことを素直に口に出し、いつだって逃げ道を捜して
 
           る女の子。
 
           口は悪いし凶暴だけど、これまで会った女性と違って、僕の本性を晒した分気を遣うこと
 
           は無かったのに。
 
           だからと言って、もう一度恋を始めてみるほど大切だとも思えない。
 
           中途半端な感情と、いじめる対象をなくした僕は、偽善者の仮面を被って仕事をこなすだ
 
           けの単調な日々に次第に苛立ちを募らせた。
 
           兄さん達をからかって遊んでも、馴れきってかわす術を覚えた反応では少しも欲求が満た
 
           されない。
 
           勝てるはずもないのにムキになって言い返す、そんな学習しない早希を追いつめる楽しさ
 
           が、正直恋しい。
 
           いっそ会長を丸め込んで、強引に僕の所有物にしてしまおうか。
 
           家族が近づくことを避けていると気づき始めた頃、カモはネギどころか鍋まで持参でやっ
 
           てきた。
 
           過去の轍を踏まないよう、兄達の良さをアピールして彼女に選択権をあげたって言うのに、
 
           「あんたがいいか、大嗣さんがいいか決めるのはあたし。極悪人でサドで人いじめて楽し
 
            むのが趣味な男の方がいいって言ってるの、どこが不満よ」
 
           緩みそうになる口元を引き締めるのに、苦労したよ。
 
           それでも女性を信じるのは早計な気がして、更に言い募ったら、
 
           「しつこいな、条件で男は選ばないって言ってんでしょ!!」
 
           憐れな子羊は、望んでオオカミの手の内に堕ちたんだ。
 
           愕然としたね、これ程お馬鹿な子が僕の身近に現れるなんて、一生楽しんで暮らせるだけ
 
           の材料が、恋愛感情で固執してくるなんて、上手く騙して、一生僕の退屈しのぎでいても
 
           らわなきゃ。
 
           それに一月前と変わったこともあるんだ。
 
           生まれて初めて感じた強い独占欲は、ともすれば愛情に似ている。ひかるに抱いた淡い思
 
           いとは比べものにならないほど、僕は早希に固執していた。
 
           兄さん達と楽しく語らう姿を見るのもイヤだ、母さんと2人仲良く食事を作るのも許せな
 
           い。なのに連中はわざわざ僕の神経を刺激して、早希にいらぬちょっかいをかけるから、
 
           益々腹が立つ。
 
           「なあに、この部屋」
 
           留学先から戻った歌織が、オフィスに顔を出したのはそんな時だった。
 
           兄弟の中で一番僕と似通った思考を持つ妹は、煙草の煙に濁った部屋を横切ってデスクに
 
           の前まで来ると、じっと僕の顔を覗き込む。
 
           「婚約したっていうのに、浮かない顔ね」
 
           人の不幸を何よりのご馳走とばかりに、ニヤリと笑ってみせる妹。
 
           早希がよく、僕を悪魔と評するけれど、きっとこんな表情を捕まえて言うんだろう。
 
           不機嫌の絶頂にいたのに、彼女の怯えた顔を思い出すと口元が緩んだ。
 
           「歌織が協力してくれれば、すぐにでも世界一幸せな男になれるよ」
 
           そう、もう一人協力者がいれば、早希の大半を独り占めできる。
 
           不意に脳裏を占めた計画は、僕にだけ都合がよく、彼女にはきっと罵倒されることが分か
 
           り切っているから尚、実行に躊躇はなかった。
 
           もちろん歌織も二つ返事で荷担を約束してくれたしね。
 
           さすが我が妹、と言ったところか。
 
           追いつめるだけのつもりが、予定外のケンカまでしてお膳立てとしては最高だ。
 
           歌織が適当に兄達を煽って、単純な早希がいつものうっかりで余計な一言を漏らした瞬間、
 
           僕の勝利は確定した。
 
           その後に起こる、嫌がらせにも似た結婚準備も、逃げた花嫁も、自分の至らなさを露呈し
 
           たけれど、取り敢えずは大満足だろうな。
 
           一生側に置きたいと思った女性と、毎日寝食を共にできるんだから。
 
           とびっきりのおまけ付きで。
 
           「いーやーっ!絶対、イヤ!!」
 
           今日も変わらぬとびっきりの怯え顔で、早希は勉強部屋を逃げ回る。
    
           どこまで行っても、唯一の出入り口は僕の後方にあるんだから無駄だって、どうして理解
 
           できないのかな。
 
           「恥ずかしがることないよ。早希の体は隅々まで眺めてるんだから」
 
           にこやかに告げると、恐怖が怒りに取って代わったらしい彼女の怒声が響く。
 
           「持ち出すなっ!人が忘れようとしてる事実を、確認させるんじゃない!」
 
           「忘れても消えてなくなる訳じゃないのに?」
 
           「殴って記憶を飛ばしてやるっ!」
 
           分厚い辞書を背後の本棚から抜き取った少女は、自ら僕の腕の中に飛び込んできた。
 
           「そう易々と、早希の思い通りになると思った?」
 
           振り上げられた辞書ごと右腕を取って、ついでに行き場のなさそうな左手も封じて、今頃
 
           軽率な行動を悔いる表情を堪能すると僕は、彼女の言う通り悪魔なんだろう。
 
           理解したって、改めるつもりはないけどね。
 
           「さ、決めていいよ。このままベッドに行くか、一緒にお風呂に入るのか」
 
           今日のお仕置きは、一度早希を抱いて以来、キスしか許してくれない彼女への報復も込め
 
           ている。
 
           どっちも選べなくて、おろつく早希を見るのも楽しいけれど、それ以上に泣く泣く要求を
 
           飲むまで追いつめたい。
 
           卑劣な想像に口元を歪めた僕は、ほんの一瞬気を抜いた隙を突かれるとは思っていなかっ
   
           た。
 
           押しつけられた柔らかな唇に、つい緩んだ手の中を早希は駆け抜けていく。
 
           「いつもいつも、近衛氏の思い通りにはならないんだから!」
 
           赤く染まった顔をして、捨てぜりふを残した彼女は背後のドアをスルーして僕の視界から
 
           フェイドアウト。
 
           …やられた。これが窮鼠猫を噛むってやつかな。
 
           愚かだと思っていた奥さんも、鍛えられて多少の知恵をつけたらしい。
 
           キスでピンチを切り抜けるなんてね。今日も早希に触れられないのは面白くないけれど、
 
           始めて彼女からもらった愛情表現で我慢するとしよう。
 
           何しろ時間はたっぷりあるんだから。
 
 
 
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