ものや思うと人の問うまで


マンション風間家の朝は早い。
雇用主曰く自宅から会社まで車で10分の至近距離なんだそうだけど、ライバルに負けない為には人一倍早く出社して、 人一倍仕事する必要があるんだって。
…社長の一人息子のライバルって、誰なんだろ?従兄弟とかかな?
なんて、下らない疑問に思いを馳せてる場合じゃなかった。さっさとご飯作って、軽く掃除を済ませて、洗濯しちゃわ ないと、遅刻しちゃうっ!
面倒なんで制服に着替えてしまった私は、不必要に可愛いそれにため息をつきながらだし巻き卵をひっくり返した。
同居(あくまで同居だから、絶対同棲じゃないから。絶対間違えないようにっ!)を始めた翌日、鞄や教科書と一緒に おにいさんが抱えてきたのは周辺在住女子羨望の的であるお嬢様学校の制服と編入手続き完了証明書だったの。
『あ、あの、通うお金とかないですけど、私っ』
『僕があるからいいでしょ』
『そういう問題じゃ…』
『未成年を不法に働かせてるなんて噂を立てられるとイヤだからね、遠縁のお嬢さんを預かってることにしたんだ。 で、アリバイ作りの為の制服』
『どんなアリバイなんで…?』
『このマンションはファミリー向けで住人女子のほとんどが山井(やまのい) 学園に通っている。三宅さんも学友に僕との関係を質されたら親戚で通してね』
これ以上の質問は言いつけられた仕事でかわされてしまったから、おにいさんが何考えて私を学校に行かせてくれるのか 本当はよくわかんないんだけど、踏み倒されたエンコー分だと思って(もう大分足出てるんだろうな…)ありがたく甘え させてもらってるんだ。
でも、生活レベルが違いすぎてクラスの子といまいち仲良くなれないんだけどね…これはしょうがないか。
「よし、できた」
我ながら完璧な朝食に満足してテーブルを見回したところ、タイミング良く現れたおにいさんは少し枯れた声で挨拶を するとなんだか疲れた様子で椅子に体を預ける。
そう言えば昨夜、随分遅くに帰ってきた気がするなぁ。もしかして、二日酔い?
さりげに確認しようとお茶を運んだけど、別にお酒臭くもなくてどうやらただの蓄積疲労の模様。全く若いからって無理 のしすぎで、働き過ぎなんだよね。ちょっとは体のこととか考えたらいいのに。
「あの…余計なことかも知れないけど、たまには早く帰ってきて休んだらどうでしょう?」
そんで、ほっとけばいいのにうっかりこれを言っちゃう私は、ほんっきで愚かなんだ、きっと。
引きつり笑顔と卑屈に下から見上げた視線に写るのは、さっきまでの生気のなさはどこへやらすっごく楽しそうな顔の 鬼畜さんで。
「三宅さんが全身をケアしてくれるって言うなら、喜んで帰ってくるよ。ああ、それとも君が寂しいから早く帰って ほしいの?」
「違いますっ」
心配なんか、しなきゃよかった!
その後、家を出るまでニヤニヤと気色悪い笑い方をやめない男に、残るのは後悔だけ。


「ホントに帰ってきたっ!!」
「有言実行がポリシーです」
食事を終え、早めのお風呂もすませてお笑い番組にうつつを抜かしていた午後7時半。今朝のふざけた会話を真に受けた のか、ひょっこりおにいさんはご帰宅よ。
「ご〜ごはん、ないですよっ!連絡くれなかったから、用意してないです!」
「期待してないよ。三宅さんを驚かしたくてわざわざ黙ってたんだから」
ソファーの隅っこまで転がった隣りにすとんと腰を下ろしたおにいさんは、ネクタイを緩めつつこめかみにキスを落とす。
「うわ〜!!なにすんの?なにしてくれちゃうかな、この人はっ!」
「あははははは、今更だねぇ、君は」
にじり寄らないで、腕回さないで、囁かないでぇ〜。
潔白を証明する為に宣言したい。
私とおにいさんの間には、最悪初対面のあの日以来、なんにもないから。清い関係だからっ!
つまり、愉快な表情とはいえ半径1メートル切って近づかれるとパニックを起こすわけですよ。
決して良い体験とはいえないあれを思い出して、全身引きつるわけですね。
「やややっマジ、放して下さいってててっ!」
そこで力の限り抵抗していたなら、見事にソファーから転げ落ちちゃったわけで。
盛大なるゴンッて効果音に、おにいさんは一瞬目を見開いた後お腹を抱えて笑い出しちゃうからもう…殴りたいっ!
「笑ってないで、助けて下さいよ!」
壁とソファーの絶妙な隙間に、見事頭から落っこちた私は半分ひっくり返ったままはまりこんでいて誰かの助けなくして は自力生還は難しいかと…。誰かがおにいさんしかいないってのが、腹立つんですけどね。
「ははっ…ご、ごめん…っそうだね、うん」
と、口では言うくせにちっとも動かないし、この人は。
岡上げされた魚のごとく藻掻く私はよっぽど面白かったんだと思う。ひとしきり抑えた声で笑った後、やっと救出しても らったんで。
人をホントにお笑い芸人扱いしてるね、おにいさんてばっ!
「…ひどいです、笑ってるだけなんて」
「悪かった。反省してます」
むくれたのに一応の反省を見せるけど、本気じゃないってのは顔見ちゃえばすぐわかるわけ。
唇の端とか、まだぴくぴくさせちゃって、むかつくったらない。
「言葉だけじゃなく、誠意を見せて欲しいんですよね、私としては」
なのでつい、今朝同様口を滑らせてしまったのよ。居候してる身分なのに、宿主様に向かって生意気にも。
怒らしちゃったらどうしようかなぁとか、出てけとか言われると厳しいなぁとか、不安と恐怖ない交ぜでこっそり隣を 伺うと、意外にもおにいさん穏やかに微笑んでらしたりして。
「いいよ。じゃあ望みをひとつ叶えてあげる。今できる範囲でね」
…神様、これなんの罠でしょうか?
一緒に住み始めて約一月、おおよそ素直とか善意とかそう言った正の側からかけ離れていると断言できる程度には知り 合ったおにいさんが、これまた知り合って初めてみせる譲歩。
罠じゃなければ後で倍返しが待ってるとか、言うこと聞いてやったんだから言うこと聞け的な理不尽要求が襲ってくる とかそんなオチ?ねぇ、鵜呑みにして、平気?
散々勘ぐって、でも千載一遇のチャンスはムダにできないと判断した自分がいたから、私は恐る恐る言ってみた。 綺麗な顔に張り付いた笑顔が、偽物じゃないように祈りながら、悪魔にだって百年に一度くらい他人に優しくする瞬間が あるって信じながら。
「…できれば、名前呼んでもらえませんか?三宅さんじゃなくてゆかりのほうを。その、名字呼びってなんかよそよそし い気がしてですね、一緒に住んでるのにやたら距離が遠いって言いましょうか…いえ、他人なんで遠くても当たり前なん ですけど、それはそれで寂しいって言いますかね?」
「ゆかりちゃん」
つらつら続く言い訳にこともなげに被ったのはおにいさんの美声。
「え?はい?」
「こんなことでいいの?本当に君は…新鮮でいいね」
思いもかけずあっさり望みが叶ったからなのか、おにいさんが言うと自分の名前がなんだかキラキラ光って聞こえた せいなのか、直後に真っ赤になった顔がひどく気に入ったそうで。
「明日からずっと、こう呼んであげるね」
請け合って貰ったことがやたら嬉しかったことは、ナイショ。ホントのホントにナイショなんだ。
これ以上、弱み握られたらたまらないもんね。


忍ぶ恋などというものはしたことがないし、これからもするつもりはなかったのだけれど。
「おめでたいね、僕に隠し事ができると思うなんて。早く紹介しないとひどいよ?」
世にもいけ好かない父親にこう指摘されてしまっては、自分がそのまっただ中にいるかも知れないと悟らないわけには いけないじゃないか。
だけど、いつでも上に立とうとするこの態度はどうだろう。他人の色恋に首をつっこめるほど自分が誇れる恋愛をしてき たとでも言うつもりか?大お祖父様にあなたの悪行三昧は全部聞いてるんだけどね。
眼前で得意げにふんぞり返る中年には本当に腹が立つけれど、直接的暴力行為より効果的な仕返しがあることを僕は 知っているから余裕で笑ってみせるのだ。
「それは恐いな。今晩にでも早希ちゃんに連絡して、お父さんが僕の恋路を邪魔するんですがと相談してみましょう」
「…早希は、僕のやることにいちいち口を出したりしない」
「では、どうでるのか早速聞いてみましょう」
マヌケな強がりがどこまで続くのか、是非見せて貰おうじゃないか。
取りだした携帯電話で情け容赦なく母を呼び出すつもりだったけど、次の一言で僕はほんの少しの仏心を出したんだ。
「…時に素直にならないと、全部なくすよ?経験者からの忠告だ」
嫌気がするほど自分に似ている男に言われては、頷かないわけに行かないじゃないか。それも相応の失敗をしているから こそ、実感もこもってる。
「肝に銘じますよ。時に…そうだな、指輪でも贈れば彼女は喜ぶと思いませんか?」
プラチナの台にダイヤが輝くものなら、僕の真意を疑い用はないはずだ。
我ながらいいアイディアだと満足したのに、小さく首を振った父は全くなっていないと呆れ顔。
「金をかけるんじゃないよ、羞恥に打ち勝つことこそ彼女たちが最も喜ぶことなんだから」
…それは、もしや、はっきり相手に気持ちを告げろということなのだろう、な。
「難しいことを言いますね」
「そうでもないよ。一度声に出せたらね、後はもう節操なく滝のように零れてくるから心配ない」
現状を知っているから、早くそうなりたいようなそうでもないような、なんとも複雑な気分になるわけだ。


NOVEL

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送