忍れど色に出でにけり我が恋は4



疲労だったり痛みだったり、体中を襲うのは諸々の現実だけど、解放されたことは嬉しくて布団にごそごそ潜り込む。
自分の愚かさは呪いたい気分だけど、取りあえず一晩の宿はこれで確保できたし…不本意だけどお金もらえるだろうから当分は何とかなるわよね。
なら、少しだけでいい、眠ってもいいかな?少し、疲れたから…。
「シャワー、浴びないの?そのままでいいっていうなら早く着替えて。もう行くよ」
「えっ?!」
無慈悲な言葉に飛び起きたのは言うまでもない。
見上げた先で心ない笑顔を見せるおにいさんは、寸分の隙もなく身なりを整え終えていて既に帰る気満々。
えーともしや泊まっていかないの?
「残念ながらね、こんなところじゃ寝られない程度に育ちがいいんだよ、僕は」
黙っていたのに顔に出てたんだろう。先読みして返された内容に、八つ当たりだとわかっていながらも腹が立つ。めちゃめちゃ立つ!
「…私、こんな時間にここ出ちゃったら、今晩行くところがないんですけど」
「家に帰ったらどう?君も痛い目を見て懲りたでしょ。未成年が1人で生きていくのは言うほど楽な事じゃないよ」
訳知り顔で言われるまでもなく、そんなこと身に染みてるっていうの。
お金がなければ家もなくなるし、ご飯も食べられない、お父さんも…。
「帰る家がないんです。因みに親もいません」
話始めると止まらなくなったのが不思議だった。
おにいさんが聞いていようがいまがどうでも良くて、ただ吐き出すことで軽くなる心が心地良くて、まくし立てた16年間は思ったより不幸ばかりじゃなく、この先もどうにかなるんじゃないかって楽天的な気分にさせる。
「…てわけなんで、エンコー代下さい。こちとら生活かかってるんです」
遊ぶお金ほしさなら言えないセリフでも、明日の食事がかかっていれば手も出るってもの。
ポーカーフェイスを崩さない表情の下、彼が何を考えているかわからないけど取るモノは取ったわけだし貰うモノ貰ってもいいよね。
ちょうだいと差し出した掌に、でも落ちてくるのは吐息だけ。
「…?」
「その状況なら、ここで10万や20万手に入れても、その場しのぎにしかならないんじゃないの?」
「無いよりマシですから」
残金400円より残金10万400円の方が心に余裕ができるって断言できるわ。
「部屋も借りられない端金で、無いよりマシね…」
…どうしてこう、神経に障るしゃべり方をするかな、この人は。事実なんだからしょうがないでしょ。
呆れたように私を見たって、置かれてる現状から逃れる術を教えてくれるわけじゃなし、結局通り過ぎるだけの他人なら黙ってお金を置いて消えてくれればいい。
だけど彼にはそんな優しさもないらしい。一瞬考え込んだ後、くるりと背を向けて私の制服をかき集めると無造作にベッドに放り上げたのだ。
「欲しいのは着替えじゃないんですけど」
「10数えるうちに着るのか、裸のまま外を歩くか、どちらを選ぶ?」
「どちらって…」
「1,2…」
なんてむちゃくちゃな人なわけ?!
ブラウスのボタンを留めるのももどかしくスカート履いて、リボンはもうポケットに突っ込んで、靴をはき終わらないうちに私は部屋の外に引き出されていた。
入ってきた時と同じように周りを眺める余裕もないまま車に乗っけられて、無言で流れる景色を眺めることだけが許された全て。
この先どうなっちゃうんだろう…?やっぱ、世の中って甘くない。体を売るだけでも危ない橋渡ってる自覚はあったけど、まさか拉致られるとは思わなかった。
このまま売り払われたり、する?しちゃう?でも、この人お金持ってそうだし小娘1人の値段なんてたかが知れてるんじゃ…。
「風間忍」
「は?」
恐る恐る隣りに顔を向けるのを待っていたように、おにいさんが口を開く。
口調、空気から察するにそれは彼の名前なんじゃないかと推察されるけど、唐突になんで?
真っ直ぐ前だけ見つめる横顔からは真意なんて読み取れなくて、違うなきっとこっち向いてくれててもこの人の心は読めないんだわ。私みたいな子どもじゃね。
名乗り返せばいいのかなとか、ぐだぐだ考えてたら矢のような視線が飛んできたから、内心すくみ上がりつつ掠れ声に名前を乗せる。
「み、三宅ゆかり、です」
「三宅さん、ね」
おにいさんは口触りを試すみたいにゆるり音を転がすと、それきり口をつぐんでしまった。話しかけるなオーラばりばり出して。
ホントさ、どうしようってわけ?

こうしようってわけ。
と、結果がわかったのはそれから時間にして、20分弱。でもね、気まずい沈黙の中で過ごすと2時間にも感じられたっ て言うか、そんなことはどうでもいいっていうか。
「立ってないで、座れば?」
ドラマに出てくるマンションかモデルルームか、判断に迷うほど生活感無くスタイリッシュかつシンプル。
おにいさんに連れてこられたマンションの12階は、そんな部屋だった。
「ここ、おにいさんのお家ですか?」
明らかに革張りとおぼしき豪奢なソファーは、しがない下級庶民の身の上では腰を下ろすことも憚られるような一品で、 つーかもう高い天井とか無駄に空間余ってるリビングとかどことっても寛いじゃおうかなぁって雰囲気じゃないんだもん。 座るより入り口に立ちつくしてる方が、悲しいかな余程落ち着くのよ。
なので、親切から出たとは到底思えないセリフは聞き流して、代わりの疑問をぶつけてみた。
行きずりに相手をした人間の面倒を見るべきだなんて思ってないし、未成年を買う大人は悪人だとしても、売ってるこっち もどうかと思うんで責任は半分こだろう。
となれば、意味もなく他人様のお宅にお邪魔する理由が見つからなくて戸惑うのは当然。しかもこんなあからさまに お金持ち〜って部屋は尚更じゃない。
ところが器用に片眉だけを吊り上げた彼は、ニコリともせず見当はずれの指摘で返してきた。
「風間さんと呼びなさい」
「え?ああ、はあ…」
呼び名など、どうでもいいんじゃないでしょうか?なにより質問に答えてないですけど。
「か・ざ・ま・さ・ん。はい、言ってみて」
当然腑に落ちないこっちの思考などお構いなしで繰り返すから仕方ない。
「風間さん、ここはあなたのお家ですか?」
わざわざお名前呼んだ後、同じ質問をぶつけると、彼はあっさり頷いて脱いだジャケットとネクタイをソファーの背に 放りつつ、どうしてだかこっちに近づいてくるじゃあないの。
ええい、寄るな触るな悪霊退散っ!
「正確には仕事が押して家に帰る時間がなかった場合のホテル代わり」
あることないこと想像したおかげで足が竦んで動けない私はドアに張り付いて小さくなってたんだけど、そんなことには 目もくれず彼は横をすり抜けると冷蔵庫から取り出したペットボトルの水を煽って、だるい仕草で言葉を継いだ。
「僕の頼みを1つだけ聞いてくれるなら、今晩から三宅さんはここで生活出来る。もちろんその後の面倒も全部見てあげ るよ」
それは、宿無しお金無し生きていける保証無しの私にとって、夢みたいな提案であるのだけれども。
ただ頷くにはあまりにも怪しいって言うか、胡散臭さに無条件で断りたくなるって言うか、そもそもこのおにいさんが 提示する条件なんて聞く価値無いような気がするって言うか。
しかし何より恐いのは、きれいな顔と嘘くさい優しさに満ちた微笑みが何故だか私の好みのツボにばっちりがっちり 入ってるらしくて、どれほど恐ろしい提案も断れない予感がするところなわけ。
よく言ったもんよねぇ『自分の敵は自分』とは。いくら何でも見かけに騙されるって、あまりにもバカな女代表じゃ ないのよ。
「…どんな、頼みなんです?」
だけど、痛い目にあったのがさっきの今じゃ、さすがの私だって多少の用心はするらしい。
世の中、法外な値段でインチキ布団を買わされたり、痩せないダイエット薬を掴まされる、ネズミ講の餌食になるなど、 警察や消費者センターに泣きつけばクーリングオフ出来る事案ばっかじゃないのだ。
売れる物は体しかない憐れな身の上で、もっとも高額なはずの処女をいわば食い逃げされている現状、 お金を払うどころか更なる条件を突きつけようっておにいさんを端から信じたら馬鹿を見るに決まってる。
なので、警戒。虚しい抵抗でも、多少する。
ひたっとノブにしがみついて、いざとなったら全力で逃げるつもりで身構えると見上げた彼はいっそう笑みを深くしまし たね、こう、清々しいほど禍々しく。
「僕の子どもを産むこと」
「………………」
たっぷり考え込んだところで、耳がおかしくなったんでなければ、とんちきな回答に変化はないだろう。
「それは、希に、プロポーズに、使われたりする、表現です、ね」
「欠片もそんな意味を含んでないけどね。この場合」
私の動揺すら愉快だ。おにいさんの顔にはでかでかとそう書いてある。
三日月に歪んだ夜色の目が、あからさまな内容に赤面した私を嘲笑していると教えてくれれば、 頬の熱は一瞬で怒りと取って代わる理性くらい残ってた。
「冗談はよそでお願いします。こっちは真剣に明日を憂いてるんですよ」
「至極真面目、至って本気の提案だけど?」
ほんの僅か刺激すれば大爆笑に至りそうな顔して、よく言うわ。
茶番をいくら続けても埒があかない。一文無しの世間知らずならいいように小突いて遊べると思ってるならおあいにく様、 バカで愚かで浅はかでも、プライドくらい持ち合わせてるの。
勢いよくドアを開けずんずん玄関に…向かおうとして阻まれた。
踏み出した一歩と、阻む伸びた腕。
私の惨めな怒りはおにいさんのちょっとした仕草に邪魔されるほど安い。
貧乏人と金持ち、大人と子ども、男と女。
決定的な差が乗り越えられない山となって目の前にあるなんて、神様はどれほど不公平なのよ!
「まず自分に必要な物は何か、考えるといい」
背中越し良く響く低い声は、気味悪いほど真剣に私の中を通過する。
「僕はそろそろ結婚しろ、跡継ぎを残せとしつこく言われることに辟易としている。結婚なんて真っ平だし、 かといって子どもを産んでその後一切の権利を放棄してくれる便利な相手が見つからないから、周囲の騒音に 耐えるしかなかったわけだ」
理解不能で共感もできないおにいさんの主張は、まだまだ続くらしい。ホントなら振り切って逃げ出せばいいの に、なぜか凍り付いたみたいに動けなくてぼんやり前を向いたまま私は無言で立ちつくす。
「三宅さんとは利害関係が構築できそうだと思ったんだ。僕は子どもが、君はお金が欲しい。そうだな…大学にも 通えて、就職するまでは余裕で暮らせる程度の金額が手にはいると思ったら魅力でしょ?」
今朝、なけなしの荷物を抱えて真冬の街に放り出された時、不幸のどん底にいるんだと思ったのね。
でも今は奈落の底って案外深いんだと実感している。
最終手段だと思っていた身売りは案外簡単に成され期待した対価は無し。訳もわからず引っ張ってこられた豪華な マンションでは、ほぼ初対面の人にお金を払えば自分の子どもでさえ売り渡す冷血漢だと思われたことが判明。
背に腹は代えられないって言うけど、武士は喰わねど高楊枝で私は生きていきたいのよ。
例え相手がどんなにタイプの容姿でもね、ここは譲れない譲っちゃいけない。
「…できない…」
絞り出した声は、自分でギョッとするほど悲壮で。
「え、なに?」
聞き返そうと私を振り返らせたおにいさんは、悔し涙でぐしゃぐしゃの顔を見てすっと表情を消した。
「できない、できない、したくない〜っ!」
叫んで、暴れて、でも外れない腕がむかついて、喉が痛くなるほどの声を上げて、泣いた。


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