それは、純粋な好意だったのだ。
一服しに出た道端で、壁に同化するんじゃないかってくらい暗黒オーラ出して、半べその女の子があんまり憐れで、 だからつい、いらないお節介をやいた。
俺のこと知らない若い子に会ったのも久しぶりで、過剰な効果を期待されない仕事をこなす、それも無償でってい うのが少し…いや、かなり楽しかったから、浮かれ気分のまま名刺を、しかも携帯ナンバー書いたやつを渡しちゃっ て、後悔したのはその日の夜。
「…やっぱ、まずったよなぁ…」
脳裏にポンと浮かんだ幼い顔に、知らず眉をしかめる。
キャッチセールスと間違えておかしな悲鳴を上げてたトコなんて、可愛くて愉快な娘だとは思うんだけど、数分 話したくらいじゃ為人を見誤るってことも、多々あるのだ。
友達からきっと俺のこと聞いて、ラッキーなんてしつこくかけてくるかもしれない。いや、それ以上を要求され るかも?
店始めたばっかの頃、まだこんな騒がれる前にはお客さんに結構渡していた個人情報が、どれほど俺を苦しめたか、 思い出すと吐き気がする。
腕じゃなく顔目当てだった娘、ストーカーになったな。
人気美容師と開店当初から馴染みだと自慢してた娘、無茶な予約でえらい迷惑した。
髪切ってくれるまで動かないって店に居座ったのも、泣いて縋ってきたのも、果てはマスコミに作り話リークした のも、ほんっと、いろいろいたなぁ。あの子がそんなんだったら、どうするよ…って。
ところが、心配の必要なんて無いと嗤うように携帯は静かなものだ。
一週間、十日と経ち、希には普通の女の子もいるんだと気を抜いてたトコに、やっぱりきたぞ不幸の電話。
なにが『お世話になったお礼』だ。絶対裏がある、髪切ってくれとか付き合ってくれとか言うに決まってるんだ。 そんなら、先手打って適当に遊んで捨ててやるか。
後から考えたらあまりにも理不尽な八つ当たりを彼女相手にしてた気もするが、取りあえず俺はその時、陰湿な思 考に捕らわれていて、頭からコーヒー、顔にケーキを喰らわされるまで、自分の非を認めようとは爪の先ほども 考えちゃなかった。
後悔って、先にできないから困るよな。


ところで、実に彼女は、男らしい性格をしていたもんだ。
奇襲攻撃を喰らった翌日には、いやもしかして当日の内かも知れないが、ともかく翌日かけた電話は噂に聞く 『着信拒否』という状態になっていて、言い過ぎた誤解したと謝罪させてももらえない。
そんな風だから当然、向こうから連絡をくれるわけもなく、まして美容院まで訪ねてくるなんてことは天地がひっく り返ったって起こるわけないんだ。わかってるけど。
「また、一服ですか?」
怪訝な顔のスタッフに送られて、オレは通りに立つ。
半月前、この前を通りかかった紅子ちゃんが今日もいるんじゃないかって都合のいい夢を見て、ぼうっと店の壁に背 を預けるのだ。
彼女なら、この道を歩くくらいなら遠回りしても別の道を行くって、頭では解っていながらこれまでの娘達がそうだった ように、オレの気を引くためにくるかもなんてバカなこと考えて。
当然、会えるわけない。実際もう一週間近く空振ってる。
でも、止められなくて、もう習慣みたいにフィルター噛み潰しながら、人波を眺めてた、日。
「…あ…」
4車線道路を挟んで、彼女が歩いていく。
似たような背格好の女の子と笑い合いながら、ウインドウショッピングでもしてるのか、ゆるゆると。
(こっち、向け)
アスファルトを踏んで体を起こすと、突然全開で回り始めた気力に後押しされた頭の中で、睨むように強い視線で彼 女を呼んだ。
気づけ、わざとらしくオレを見つけてそして、誘う笑みを見せたらいい。
そうすれば心おきなく、切り捨てられるのに。自分は間違っていなかったと、日常に戻っていけるのに。
だけど都合良くいかないのが、世の中だ。
紅子ちゃんは友人と連れだって通り沿いの洋菓子店に入ると、すぐに小さな袋を持って出てきた。
どこか見覚えのある、それ。光沢ある群青のビニールバックは、マンションのキッチンになかったか?中身を彼女は 食べることなく、オレの顔でぐちゃりとつぶしはしなかったか?
無駄に視力がいいことを、今日はすこぶる後悔だ。
目線まで持ち上げた袋に明るく楽しそうだった紅子ちゃんの表情が不機嫌に曇って、なにやら不満を漏らしている様 がよく見える。
共感して共に憤る友人と、肩を怒らせて来た道を戻る彼女。聞かずとも分かる会話の内容。
結局、オレどころか店を見ることもせず、紅子ちゃんは消えたのだ。
追いかければ、声をかけて謝れば良かったと、僅かな後悔に苛まれる憐れな男を残して。
オレの捻れた心に、馴染みある苦さと甘さを落として、恋を落として。


声をかけた日には、落ちていた恋。
言いつくろうなんて無駄だと、ここ3日ほどで誤魔化すことを諦めた。
10近く年が離れているとか、まだ信じていいか分からないじゃないかとか、一目惚れなんかないとか。
いい分ければいい分けるほど、オレの首は絞まっていく。
そもそも、客に懲りた女に懲りたと言いながら、腐るほどある出会いには見向きもせず通りすがりの女の子を拾うこと自 体、変なのだ。
偶然、紅子ちゃんはオレを知らなかっただけで、面が割れてるリスクの方が高かった、ナンパ(にしか見えないだろう、 あれ)。
待たせている予約客の冷たい視線も無視して自らシャンプーブローするわ、先手打ってやるとか理由付けて誰も入れたこ とのないマンションへ連れ込むわ。
気があったのはオレの方じゃないか。
髪を切ったり、キスしたり、絡んだり、自分からちょっかいかけて怒らせて、相手にしてもらえなくなったら主人を待つ 犬みたいに店の前に立ちんぼしてみたりして。
(救えねぇ〜) 部屋の中を転がって、もう一度会えたら(携帯は絶望なんで)素直に謝って、改めて付き合って下さいって告ろうと決め た。もう絶対ひどいこと言わない、しない。小学生じゃあるまいし、苛めたりしなくても好きな子に自分の気持ち伝えら れるだろって。
だけど、いざそんな場面になるとさ、脆いもんだよ決意なんて。
せっかく会えたのに紅子ちゃんはオレを無視で店から出てくし、必死で追いかけたらしてやったりって具合にほくそ笑ん でるんだもん。
思わず頭に血が上って…あれ、脅したんだよな?言っちゃった後、激しく後悔してたってのに。
『…お詫びにこれあげるってのは、ダメ?』
ホント、悲しそうな顔で差し出すんだよ、ハーゲンダッツ。
彼女の表情が物語ってる、自分にとって30万のソファーと300円のアイスは同等の価値があるんだって。
これが笑わずにいられようか。これまで会ったどんな子達より、ぶっ飛んだ思考で、めちゃめちゃ可愛くて。
あ〜もう駄目だ。絶対この子が欲しい。更にマジになった、今。
だけどどうやら、紅子ちゃんにはオレ、ロクでもない人間に見えてるみたいだから。確かに自分の感情が上手くコントロー ルできなくて、気持ち伝えるどころか墓穴ばっか掘るしな…。
よし、首尾良く掃除しに来てもらえることになったし、ここは一つテスト期間にしとこうかな。素直になる、優しくする、 を実行するための。
よしよしと、再びマンションに紅子ちゃんを連れ込んだまでは良かった。
掃除道具無いじゃないか(家政婦さん頼んでてそういった類のものをどこにしまってるか知らない)…密室に好きな子と 2人って、理性飛ぶ(大人のくせに)…。
取りあえず、バケツに雑巾、買いに行くか…。


「ごちそうさま。おいしかった」
「…お粗末様でした…」
にこやかな佐久間さんに何とも複雑な気分で返答したあたしの気持ちを、分かって欲しい。
鍋釜揃えて食材買って、この辺りは平和に平凡に過ぎていったんですがね、料理を始めてからが唖然呆然なワケですよ。
あたしの数倍の速度でね、作る作る。そらもう、見た目も美しいお料理の数々を。
本人曰く『共働きな両親を手伝うために、わんさといる兄姉と協力して家事こなしてたから、そこそこできるよ』なんだ そうで。
へぇ〜…こっちは女のプライドずたぼろだけどね。悔しいし、次回までにもう少しマシなレパートリーと手際の数々を身 につけて…。
「いやいや、次なんて無いから、もうさ」
「ん?」
食洗機などという文明の利器に皿を放り込み終えた佐久間さんが、独り言にしちゃ大きすぎる声を発したあたしを振り返る。
なんつーか、お素敵笑顔で。
それがさ、ここのとこ常に警戒してた険もないし、裏も見えなくてね、やばいぞ、気を抜くと好きだーとか言って抱きつ きそうじゃん、顔のいい男に弱い自分っ…みたいな誘惑たっぷりで。
ここであたし、はっとしましたよ。
クエスチョンマーク一杯付けてる佐久間さんと、見つめ合うこと30秒。
「え?ええ?えええっ??」
言いました、やばいこと考えました!
好き?抱きつく?あはははっ!この男はそういう対象にならないって、初めて会った頃笑ってたのに?アイドルが好きな 感覚と一緒だとか、出来過ぎててそんなこと思うことも難しいねぇとか、考えてたのに?
今、素で、さらっと。
恋愛対象にしませんでした?この人を。あまつさえ、好きだとか思いましたね、実際。
「どうかした?紅子ちゃん」
あんまりおかしな行動と言動が続くんで、さすがの佐久間さんも心配したか訝しんだか、ともかく一歩近づいて様子を見 ようと…
「うをっ!」
させまいと、後ろへ飛び退いちゃったじゃないですか、反射的に!
当然、その後のこの方の表情ってば、説明するのも恐ろしい。
一瞬、マネキンを彷彿とさせる見事な無表情を表して、次いで怒りと冷笑に彩られたこう、歪んだ感情がですね、爆発で すよ。
「ふっふっふっ…何かな、その変質者とでも対峙したような態度は」
「はっはっはっ、他意なんてありませんよ、やだなぁ!」
半泣きになりながらどんどこ後退って、どんな広いキッチンにも行き止まりがあるんだと知る。
壁に背を預けたあたしは、過去キスを奪われた場面に近しい接近具合に、もう涙目全開です!この大魔神を元のちょびっ とあくどいプリンスに戻すためなら、どんな努力も惜しみますまい!
「紅子ちゃ〜ん…」
「だぁぁぁ!なんでも言うことお聞きしますから、取って喰うのだけは勘弁してくださ〜いっ」
叫んだあたしを眺める瞳は、笑いたいんだか呆れたいんだか、随分複雑な色をしてましたよ、あはは♪


オレ、彼女にどれだけ怖がられてるんだろう。
不審行動が多い紅子ちゃんを心配しただけだって言うのに、えらい勢いで避けられて。
そりゃ、元はといえばオレが悪いよ。怒らせたし、脅したし、ろくなもんじゃなかった。はい、認めます。
だけどさ、買い物してる時も料理作ってる時も、結構いい雰囲気だったんだぜ?無駄な衝突もなく、にこやかに爽やか に食事して、お、いい感じじゃん。これならオレに好印象抱いてくれるかな、とか考えもして。
なのに、どうして『取って喰うのだけは勘弁して下さい』になっちゃうんだよっ!
バリバリの本音漏らせば、好きだから喰いたいよ、お許しが出たらすぐにでも取って喰うさ。男だもん、しかたないだろ。
でも、怯えてる女の子に襲いかかるような真似はしない。どんなに飢えてたって、絶対。まして好きな子相手にそんなリ スク冒せるかっての。
「……あっそ。じゃ、また来て」
しかし、追いつめられた恋する男は愚かなのだ。
こういうことするから、自分に対するイメージが少しも改善されないんだって分かってて、便乗する。
約束を果たし、もうオレの命令に拘束力を認めないだろう紅子ちゃんと、再び会うために。できるならどんな邪魔も入ら ないマンションでじっくりゆっくりお知り合いになるために、彼女の提案を悪用する。
「………は?」
予想通りたっぷり数秒考えた後、思いっきり顔を顰めた紅子ちゃんを、抱き寄せてキスして好きだって伝えたくなるの我 慢して、じっくり見つめて繰り返す。
「だから、また来て、ご飯作って。そうだな…明後日、オレ休みなんだ。紅子ちゃんは?」
「え?あ〜火曜日は2時までかな、授業」
素直な彼女がうっかり予定を教えてしまったこと、後悔する前に。
「オッケ。じゃ、迎えに行く。学校の場所は?」
「は?ええ?」
「ほら、目印とか教えて?最寄り駅はどこ?」
畳み掛けて反論の隙を与えず、被害者から欲しい情報をまんまと引き出したオレは、すこぶる機嫌が良くなったのだ。
また一つ、知ってることが増えた。彼女の通う学校の名前と場所と。これで紅子ちゃんを掴まえたくなった時、心当たり ができたって事で…そうそう。
「もし迷うと困るし、携帯出して」
にっこりと、女受けのいい極上スマイルでお願いすれば、未だ茫然自失の体が抜けきらない彼女はフラフラとリビングに 消えて、素直にパールホワイトの端末を渡してくれる。
「オレの名前なんて登録してる?美容師?ひどいなぁ…樹に直してっと、そうこれ重要。着信拒否は絶対止めて」
ついでにメルアドも登録して、アドレスにチラリと見えた男の名前を消したい衝動に駆られながら、なんとか無事ちいさ な機械を彼女に返した。
「その…下の名前とか覚えられないって言うか…佐久間さんじゃ、ダメ、なの?」
強引に変更された名前は、オレを名字呼びする彼女にとってまだまだ受け入れがたいようで、目元をうっすら染めながら 弱々しい抗議が、可愛くて困った。
「ダメでしょ。日本中に佐久間さん、結構一杯いるんだよ。かく言うオレなんて5人兄姉だしね。知ってるだけでも両親 含め佐久間さんが7人だろ?ここはやっぱり名前で呼んどかないと」
自分でも恥ずかしくなる、この屁理屈。
だけど、誘惑に勝てなかったんだよ。どうしても、聞きたかったから。
「ほら、練習してみな。い・つ・き。呼び捨てでね。はい、どうぞ」
「…い……で、できない」
「できるって」
「…い…い…い、つき…」
照れて、真っ赤になった君が、紅色の唇から紡ぐオレの名前。少し震えて、呼んだあと上目遣いでこっちを伺う様が、た まらなくって。
「よくできました」
ぽんっと頭に手を置くだけで、己の邪な欲望を抑えきったオレを、誰か褒めて下さい…。



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