10.

「繭って、本当に鈍いわよね」
これから出勤する昼勤務員組と、これから眠る深夜勤務組と、朝食なんだか夜食なんだか分からない食事を取ってる席で、 ミオさんは吐息混じりに零す。
「は?」
お箸をくわえて、云われないその批判に首を傾げた私は、克己も畑野さんも訳知り顔で肯定してるのを見て、まさかっと 顔を引きつらせた。
心当たり、あるのよね。実は。
ただ、気付かれてるとは思いもしなかったから、不用意に動揺してしまったというか、なんというか。
「あの〜それって、あのこと?」
恐る恐る問えば、なんだ知っていたんじゃないかと3人は眉を跳ね上げる。
「そのことしかないだろ」
「他に思い当たることがあるというなら、お仕置きが必要だな」
「嬉しそうに言うんじゃないの。でも、それなら話が早いわね」
三者三様感想を述べた後、声をピタリと揃えた宣言は。
「「「養ってやる(あげる)から、仕事やめろ(なさい)」」」
でしたよ。私の意見なんか、聞きもしないでね。頭ごなしによ?
「なんで?!妊娠初期は、普通に仕事する女性いっぱいいるよ」
現にうちの会社にだって、マタニティ着て会議に出てる社員はちらほらいるし、電車にだってそんな人が乗ってるんだ から、いきなり退職を迫るなんておかしいでしょ?
でも、見渡した顔は一様に、認めませんて書いてある。
「食うに困っているならともかく、稼ぎの良いのが3人いるんだぞ。なんで妊婦が無理をして働くんだ」
「あたし達の大事な繭と赤ちゃんなのよ〜。大事な妊娠初期に何かあったらどうするの」
「いまいちお前は信用できねないしな」
前2人はともかく、克己のはちょっと聞き捨てならないじゃない?信用って、どういう意味?!
当然、そう食って掛かったらね、やっぱりまたハモるのよ、3人して。
「「「一週間前、駅の階段から落ちかけたこと、忘れたの(か)?」」」
ぎくっとしちゃったわ〜心底冷や汗かいちゃった〜あははは、そんなこともあったかなぁ〜みたいなぁ。
共同不審に視線を泳がせる私に嘆息して、またまた3人は聞こえるような嫌味のね、連呼なのよ。
「今日で生理が遅れて2週間でしょ?当然、あの日もお腹に赤ちゃんがいたのよね?」
「ああ。妊娠を疑い始めた頃だったからな、目の前で繭が落ち始めた時には、肝を冷やした」
「帰宅時だしな、たまたま畑野とかち合ったからいいが、1人で帰ってたとしたら流産決定だな」
「やだ、血の海に繭?!想像したくもない!」
「赤ん坊が流れるだけならともかく、出血多量で繭が死ぬ確率も高い」
「毎朝ヒールの低い靴を履くよう促すんだが、聞かんしな」
「本人気付かれてないと思ってるようだけど、たまに朝、吐いてるしね」
「体力が持つはず無いんだ」
「倒れるまで強がるタイプだな、これは」
「お馬鹿なのよね〜そこが可愛いんだけど」
な、なによね、みんなで言いたい放題言っちゃって、そりゃ、あの時は自分でもまずったなぁとか思ったけど、それ 一回こっきりじゃない。ちょっと疲れてたのよ。妊娠してから、妙に眠いし…。
普段は結構慎重だし、階段から落ちるなんてほとんど経験したこと無いのよ?自覚すればより一層気をつけるから、 心配とかないし…多分。
とまあね、心の中ではいかようにも反論できるんだけど、目の前にいる人達に口で勝てるわけが、あるはずもなく。
「「「やめるな(わね)?」」」
「……はぁい…」
不満ながらもこう返すしか、ないわけよ。
それは結婚式から3ヶ月目の、良く晴れた日のことだったわ。


家事に専念しようにも、片手間に掃除洗濯をこなすスーパーな3人に仕事を取られては、どうにもなんないの。
それでなくとも『無理をしない・重い物を持たない・走らない』をスローガンに掲げさせられているから、行動に制限 が多いのなんの。
妊娠中には欠かせない、こんなこともね、
「順調ですね」
微笑む女医さんに、
「ありがとうございます」
にっこり返事をするのは、完璧女装中の克己君。
妊婦の定期検診も、手が空いた誰かが同行する念の入れっぷりなのよ。しかも『男親が何人もいると思われちゃいけな い』って意味不明な理屈から、克己は女装が義務付けられてるの。変でしょ?
「もう7ヶ月ですから、性別が判りますがお知りになりますか?」
看護婦さんにお腹のジェル(エコー当てる時につけるのね)を拭き拭きして貰っている間に、先生と克己は親抜きでし てはいけないだろうお話しをしてるのよ。
や、まぁ、うちの場合、誰が親かは判然としないんだし(生物学的にも精神的にも)いいっていえばいいんだけど。
「いえ、産まれるまでのお楽しみに、とっておきますわ。家族会議でそう決めてますの」
ほほほほほっと、上品に笑ってみせる克己に聞いてみたい。
確かに、朝ご飯食べながらその話しはしたけど、家族会議って…克己とミオさんは一体どんな位置づけ?ね、ねぇ。
しかし、この些細な疑問は先生が解いてくれたのよ。
「素敵なご家族ね、畑野さん。それに実のお姉さんと義理のお姉さんがついていて下さるなんて、心強くて良いわね」
「ええ?…ああ、ははは、はい〜」
そうか、そんなことになってたのね。
引きつり笑いのまま克己を見ると、任せって偽物の胸を叩いて請け合ってくれるわけで。
すっごく無理があると思うんだけど。こんな美人な姉とか血が繋がってるわけないじゃない〜ミオさんにしたって克己に したって、無理過ぎよ!


「また、買ってきの?」
「やん、見つかっちゃった♪」
ちっとも隠れてないミオさんは、子供部屋って決めた一室に両手いっぱいの荷物を置いてるところで。
ただいま時刻は朝の5時。仕事を終えてご帰宅なさった彼女と、そろそろ朝ご飯の用意しようかなって私は、タイミング 良くかち会っちゃった次第。
「もう、ここ入りきらなくなっちゃうよ?」
ぐるりと示した5畳の部屋は、ベビーベッドに始まって箪笥にベビーカー、歩行器にぬいぐるみにグルグルメリーさんに、 etc,etc…。まだまだ使うの先でしょって物をふくんだせいですっかりデパートのベビーコーナーみたくなっちゃってる。
それというのも3人で代わる代わるいろいろ持ち込むからなんだけど、
「だってぇ、お店の子がくれたのよぅ。ほら、可愛いでしょ?オーガニックのぬいぐるみ♪」
こんな風にもらい物が半分、だったりするのよね。純粋な好意だし、もちろんすっごく嬉しいからいいんだけど、さすが にこれ以上は、本当にオーバーフローなんだってば。
「うん、可愛いけど、袋から出さずに置いておいてね。まだ出てくるまでに2ヶ月もあるんだから、ホコリかぶったら 大変だもん」
そうして、一番邪魔にならない箪笥の上を指しておいた。
この部屋で赤ちゃんの誕生を待つ数々の小物は、こうしてビニールがかかったまま。小さな主の登場まで、今少し眠るのだ。
k でね、本当ならみんなの期待ももう少し、棚上げしておいて欲しかったりもするの。
「わかってるわ〜」
ご機嫌で荷物を片づけるミオさんの背中に苦笑しながら思う。
もうちょっとだから、大人しく待ってて。せめてここが埋まっちゃわないように、すこしだけセーブしてね。
「あ、動いた」
起きたのか、もぞもぞと胎内を移動する場所に手を当てたら。
「え、どこどこ?!」
飛んできたミオさんが跪いてお腹に頬を寄せて。
「ホント、可愛いわぁ〜」
どんどん勢いよく蹴り上げるのに触れて、嬉しそうに笑っている。
あのね、ミオさん。きっとこの子も言ってるんだと思う。
なんにもいらないから、触れていてって。何度でも、こうして近くに来てって。
それは優しい、朝の出来事。


のろのろ洗面所まで這って、立ち上がろうにも震える膝に苛立ちが募る。
もう、なんで動かないかな、こんな時。自分の体なのに重くて、言うことを聞かなくて。
「大丈夫か」
力なく座り込んでいると、いつの間にか背後にいた畑野さんが私を支えて、洗面台に引き上げてくれる。
「あり、がと…」
お礼もそこそこにこみ上げる吐き気と戦っていた私は、みっともなくげーげーやって、空っぽの胃袋をひっくり返す。
臨月も半分を越した最近、赤ちゃんの押し上げられた内臓が悪阻と同じ効果を発揮してて、夜更けや明け方に突然 吐き気を催しては、重い体を引き摺って家を彷徨うのが日課になっちゃった。
もちろん、ごはんもそんなに食べられてないんだから吐こうにもなんにもなくて、喉が痛くなるだけとか辛いだけ なんて、嬉しくない弊害つき。そんなだから当然、気分もすっきりしない。
時間帯的にも夜中のこれは明日も仕事の畑野さんを起こす確率が高くて、迷惑かけてるなってイヤになるんだけど。
「ごめん、ね?」
ようやく収まってきたところで顔を上げ、鏡越しに謝ると彼は笑った。
「悪いことなんかないだろう?俺は普通の父親と違って3人でフォローしてる分、楽なものだ。それより繭は大丈夫 なのか?ここ最近、毎晩だぞ」
心配そうに背中をさすってくれながら問われて、平気と微笑んで見せる。
「もうちょっとのことだし、みんな優しいから。我慢できるよ」
「…すまんな。どんな協力でもしてやりたいところだが、こればっかりは代わるというわけにもいかんからな」
「そりゃあ、そうでしょ〜ミオさんなんて自分で産めればそうしたいに決まってるもの」
不可抗力に本当に申し訳なさそうな顔してくれる畑野さんは、あの趣味さえなければ本気でいい人なのに。
「さて、おさまったし。もう寝ないと赤ちゃんにも悪いから」
ゆっくり振り向いた私の腰を抱いて歩きながら、彼はぽつりと呟いた。
「簡単に、子供を産めなどと言ったことを、最近後悔する」
一瞬、びっくりして。直後に、とっても嬉しくなって。
「私が自分で産むって言ったんだから、畑野さんが気に病むことないってば」
笑ったのに、しかしと顔を顰めた畑野さんは私をベッドに運ぶと、その夜はずっと優しく抱きしめていてくれたの。
明け方に戻った克己に取り返されるまでね。


そして、待ちに待った日。
それぞれ仕事を休んだ3人に、元気な産声を届けることができたのだ。
元気な、男の子を。


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