幸せの時
 
 
       「あの、すみませんでした」
 
       最後の荷物を抱えた省吾さんは、振り返るとがらんとした部屋で頭を下げる私に微笑む。
 
       「構わんさ、むしろ感謝したいくらいだ。新婚の内は別居したいと思っていたからな」
 
       …不気味だわ。楽しそうに笑うその顔が。ごめんね、結衣ちゃんまた余計な苦労増やしちゃ
 
       いそう…。
 
       倉本家の兄弟はライバル心が強い。弟が一方的に、だけど。お兄さんが結婚を決めて、先を
 
       越されてなるものかと息巻いた遼平は、おじさん達と共謀してまんまと私の将来を決めてし
 
       まった。
 
       合同結婚式まではいいけれど、自分が経済力のない学生だって自覚は皆無だったのよ。学費
 
       も生活も親がかりじゃあ自然、収入の安定している兄夫婦が独立して、私たちが同居の道を
 
       取ることになる。
 
       義理の両親とは仲もいいし、上手くやっていくのは無理なことじゃないけど、やっぱり腑に
 
       落ちない。
 
       二十歳そこそこで人生決めなくても、自分達のペースでゆっくりお付き合いして結婚は後か
 
       らついてくるものでも良かったんじゃないの?
 
       「美香、これこっちでいいんか?」
 
       省吾さんと入れ替わりに段ボールを抱えた問題児の登場。
 
       自己中で俺様で、私の意見なんて半分も聞いてくれない暴君は朝から張り切って引っ越し隊
 
       長を務めてる。
 
       「はぁ…」
 
       脳天気な表情にため息を禁じ得ないわ。この人は新生活になんの不安もないのかしら。
 
       「んだよ、辛気くせえなぁ。ちゃっちゃと働かなきゃ、週末の結婚式までに片づかねえぞ」
 
       「…一層その方がいい気がするんだけど」
 
       つい漏れた本音に、顔をしかめた遼平がどかっと目の前に座り込んだ。
 
       段ボールは部屋の隅に放りだしてね。
 
       「お前、まさか俺と結婚しないなんて言いださねえよな?」
 
       「言ったって、許してくれないでしょ?」
 
       短い付き合いだけど、その辺は身に染みてるもの。恐怖のスノボ体験からこっち、あなたが
 
       私の否を聞いてくれたこと、あった?
 
       「おう、許さん」
 
       威張られるともう、怒るより呆れる方が強くなっちゃって…。ホントにもう、遼平ってばい
 
       つだって大事な言葉が足りないのよ。今回だって、言ってないことあるでしょ?
 
       「一つね、聞きたいことがあるの。遼平が結婚するのはどうして?」
 
       凄く重要なのにね。
 
       傲岸不遜を絵に描いたような彼は、間違っても忘れちゃいけない行程を飛ばしているの。
 
       それは人生の一大事において誰しもが最大限の勇気でもって口にするあれ、よ。
 
       頑張っちゃう人は花束や豪華な食事と共に宝石付きの指輪を渡しちゃう、例の行為。
 
       この結婚に際して、私はどっちももらってない。言葉も、形も。
 
       だから不安なんだと、視線に力を込めて目の前の人を見つめるとなぜだか様子がね、おかし
 
       くなっちゃったの。
 
       いつだって真っ直ぐこっちを見据える人なのに用もなく床を凝視して、腕組みしていた手は
 
       解かれて落ち着きなく髪をあごを、撫でたりさすったり。
 
       こわばった表情で口を開きかけてはまた閉じる。…私は確かに人様より鈍いですけどね、だ
 
       からあんなのに捕まるのよって奈月に笑い飛ばされるんだけどね、ここまで来てこの態度、
 
       続くのが何かくらいわかるわ。
 
       ワガママで意地っ張りでどうしょうもなく子供だけど、決める時は決めてくれるよね?
 
       期待を込めて待つ先で、たっぷり5分悩み苦しんだ遼平は不意にポケットに手を突っ込むと
 
       握り拳を目の前に突きだした。
 
       「やる」
 
       「?」
 
       短い言葉と共に私の掌に落ちてきた銀の指輪。淡い水色の石が陽光を反射してキラキラ目映
 
       い輝きを放っている。
 
       「これ…」
 
       「金、ないから。ホントはダイヤとかがいいんだろうけどさ、今はそれが精一杯なんだよ」
 
       照れてほんのり染まった頬が嬉しいと思ったら、不意に視界が歪み始めた。
 
       慣れないことするんだから…きっと買うの恥ずかしかったんだろうな。
 
       「アクアマリン…誕生石なんて遼平知らないでしょ?」
 
       ぽろぽろ零れる雫によく似た色の石は、収まった薬指で誇らしげに存在を主張する。
 
       「なんか店員がさ、お前の誕生日聞くから。そんでそれにしろって」
 
       泣く私にも所在ない自分にも困り果てた彼は、乱暴な仕草で腕の中に私を抱き込んでそっと
 
       長い息を吐く。
 
       それはどこか己を奮起させる儀式のようで。
 
       「好きだ、だから結婚すんだよ」
 
       して下さいじゃないところが、決まった未来をただ告げるセリフが、いかにも遼平で私の泣
 
       き笑いはしばらく収まらなかった。
 
 
 
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