「気持ち悪…」
 
       大好物のビーフシチューを一口含んで、あたしは席を立った。
 
       「早希?」
 
       訝しげな声なんて構ってられないっつーの!
 
       マナー違反もなんのその、上品にさざめく店内を横切り、一直線にトイレに駆け込んむと胃
 
       の中のモノを盛大に戻す。
 
       珍しく日の高いうちに帰った近衛氏が、これまた珍しく優しい笑顔で『食事に行くよ』って
 
       言ってくれたのに、台無しじゃん…。
 
       やーっぱ、お母さんからもらったケーキと、お祖母ちゃんのおみやげの大福、先輩がファン
 
       から差し入れられたクッキーを一度に食べたのが敗因だろうなぁ。
 
       あたしの胃袋も人並みにストライキ起こすんだ、覚えとこ。
 
       納得して、鏡で確認した青ざめた頬にげんなりしながら席に戻ると、そこにはいつにない深
 
       刻な表情の近衛氏がいた。
 
       「…どうかした?」
 
       「どうかしたのは君の方だろう?」
 
       「……なんで怒ってるのよ」
 
       眉間に皺がよってるし、声だってやたら低い。オーラなんて凶悪そのものよ、信じられる?
 
       普通は病人(?)に心遣いを見せるのが一般の反応でしょ。ましてやそれが最愛(??)の
 
       奥様なら倍がけのオロオロ対応、期待しちゃうんだけどなー、相手が近衛氏じゃこういう訳
 
       分かんない対応されるから困るんだよね。
 
       「さっきまでは調子が良さそうだったね」
 
       「うん」
 
       そりゃ、食事してなかったから。胃に負担がかからなきゃどうってことないの。
 
       「これ、大好きじゃなかったの?」
 
       「うん、好き」
 
       今はみるのもイヤだけど。…ああ、もったいないタッパーでお持ち帰りって無理?
 
       それでも漂う香りが吐き気を催すから、そっと押しやってみたりして。
 
       「…早希はどうしてそう無頓着なんだろうね?」
 
       ぴくっと、こめかみが反応しちゃったわよ。
 
       なにさ、ため息なんかついちゃって人バカにしたその態度!無頓着?大ざっぱとかいい加減
 
       ならともかく、あたしこれでも周囲にも自分にもとっても気を使っちゃう神経細やかさん、
 
       なんだから。
 
       悪魔なアンタと一緒にすんな!
 
       「仰ってる意味がわかりませーん」
 
       舌を出してそっぽを向くと、いきなり席を立った近衛氏に腕を捕まれた。
 
       「なにすんのよ。まだデザート食べてないのに」
 
       「…へぇ、食べられるの?」
 
       見下ろす視線から蔑みビームが出てるじゃない。唇は微笑むみたいに緩んでるけど、目が全
 
       く笑ってません。
 
       …むしろ激怒?
 
       「バカ言ってないで帰るよ。歩けないなら抱いて行ってあげるから」
 
       さて問題です、なんでこうなるの?意味もなく怒ってる近衛氏に、たかだか食あたりで重大
 
       なミスでも犯したかのように引っ立てられるあたし?
 
       せっかくのお出かけなのに、ろくすっぽ食べてもいないのに、もう終わり?
 
       「えーっ!やだやだ、まだいる」
 
       忙しい近衛氏と一緒にいられるなんてまたとない機会なんだから、ここは一ついつにないワ
 
       ガママで困らせてみよう。
 
       がしっとテーブルを掴んで、子供みたいにだだをこねて、おねだりモードで見上げたらきっ
 
       と、ため息と引き替えに許してくれる、かも。
 
       「…そう、わかった」
 
       にっこり笑ったんだもん、勝ったって思うじゃない?
 
       ところが近衛氏、軽々とお姫様抱っこしたあたしと共にすたすた店を出ようとするのよ!
 
       「ちょーっ!!ちょっと待った!おろせ、おろして!」
 
       「静かにしなさい。他の人の迷惑でしょ」
 
       暴れてもダメ、髪までひっぱたのに怯まない。無情の彼は店の人に支払いは次回って告げて
 
       (これだからツケのきく店は!)駐車スペースの自分の車まで来ちゃったのだ。
 
       「近衛氏、変!横暴!あたしのご飯〜」
 
       お持ち帰りできたかもしれないのに、ひどい。明日になればおいしく頂けたのよ、間違いな
 
       く。
 
       半べそかいてとろとろのビーフシチューに思いをはせていたあたしをそっとシートにおろし
 
       た近衛氏は、困惑顔で微笑むとシートベルトをかけながら請け合った。
 
       「明日、テイクアウトしてきてあげるよ。早希の欲しいものはなんでも用意してあげる。だ
 
        から今日はおとなしく帰るんだ」
 
       ……はい?この人どっか壊れちゃった?
 
       そう長い付き合いじゃありませんが、悪魔な旦那様に優しくしてもらった記憶がありません。
 
       ちょっとばかり体調を崩したからって、意地汚いと罵られる覚えはあってもお日様が西から
 
       昇っちゃうくらい不気味な親切を受けるいわれはない。
 
       明日降るのはヒョウ?それとも槍?
 
       隣に乗り込んできた近衛氏を怨霊でも見るかのように眺めていると、チラリと視線を寄越し
 
       た柔らかな視線に包まれる。
 
       …まったくもって気味が悪い。
 
       「妊娠初期はきちんと食事を取らなきゃいけないんだけどね、大好物まで食べられないとは
 
        …帰りに早希の実家によろうか?いろいろ話を聞きたいでしょ?」
 
       「………」
 
       「ああ、母さんに聞いてもいいか。きっと張り切っていらないことまで教えてくれそうだけ
 
        どね」
 
       「…あのー、もしもし?」
 
       一体その話はどっから来て、どこに行き着くんでしょうね。
 
       やたら饒舌に人の問いかけも無視で、最初は女の子がいいね、でも男の子なら会長が喜ぶし
 
       って、やめなさい。あなたの夢想はどこまで飛んでんの。
 
       「近衛氏、近衛氏、ちょっと落ち着きなさいな」
 
       ほっとくといつまでも喋ってそうなあっち側の人を、肩を激しく揺さぶるって方法で引き戻
 
       して見る。
 
       「なに?心配しなくても病院には一緒に行くよ」
 
       …胸を張られても、問題はそこじゃないんだな。
 
       「でなくて、あたしはいつお腹に赤ちゃんを入れちゃったんで?」
 
       「ああ、いつだろうね。現代の避妊方法は完璧じゃないし、覚えならいくらでもあるから」
 
       さーらーにー違う。自信ありげに首傾げられてもさ。
 
       「いや、近衛氏はいつそれに気づいたの。本人全く自覚がないんですけど?」
 
       「さっき。食事中いきなりトイレに駆け込むのはお約束でしょ」
 
       …恐るべき短絡思考。吐く=妊娠?うーわー…。
 
       「吐いたのはですね、ケーキと大福とクッキーを止めどなく食べたせいで、胃がストライキ
 
        を起こしたんですけど」
 
       沈黙が世界を支配するってね。
 
       にっこにっこ笑った顔のまんまで凍り付いた近衛氏は、たっぷり1分動きを止めると意識を
 
       取り戻した時は地響きのおまけ付きで平常運転の悪魔顔に戻ってた。
 
       「早希?」
 
       「…はい?」
 
       すっごいヤな予感。めちゃめちゃ危険信号。
 
       できるなら逃げ出したい密閉空間で、呼吸をするのさえはばかられるいやーな間。
 
       …その後、冷や汗を流しならが長ったらしいお説教に耐えたのは一生思い出したくない記憶
 
       なんである。
 
       自分で勘違いしたくせに、ひどいや。
 
 
 
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