ある夏の日。
 
 
      夏になると海に行きたくなるのは何故だろう?
 
    青い水面を眺めながら、凪子は首をひねった。
 
    浮き輪でぷかぷかやる意外、楽しみ方を知らないくせに、京介に夏休みにどこに行きたいか聞かれ
 
    て、迷わず『海』と答えてしまった。
 
    「ええなぁ海!水着のおねえちゃんがぎょうさんおるで」
 
    凪子そっちのけで浜辺を眺めている男と来ていることに、疑問は勢いを増す。
 
    自分のスタイルに自信があるわけでも無いのに、比較対象が山のようにいる場所は明らかに選択ミ
 
    スだ。
 
    「…あ、凪子が一番やけどな」
 
    とってつけたように京介が言ったのは、考え込んでしまった彼女に気付いたから。
 
    しかし時既に遅く、凪子は着込んだパーカーを絶対脱がないと決めてしまった。
 
    「あたし、ここにいるから北条さん泳いできたら?」
 
    パラソルが作る日陰で昼寝も案外楽しいかも知れない。目を閉じていれば余計な物を見ることも無
 
    いのだから。
 
    「一人で泳いでも楽しいことあらへんやろ」
 
    「そんなことないって。ブイまで遠泳なんてどう?」
 
    「臨海学校やなんやから、一緒にボール遊びでもしよや」
 
    「…わかった」
 
    水着にさえならなければ問題はないわけで、凪子は傍らのビーチボールを取り上げると立ち上が
 
    る。
 
    どこか空いているスペースを捜そうと一歩踏み出した彼女のパーカーの裾を京介が後ろから引い
 
    た。
 
    「動いたら暑いし、脱いだらどうや」
 
    口元がにやついているのは、決して凪子の見間違いじゃない。明らかに水着姿を期待して目を輝か
 
    せている京介の視線はいっそストレートで気持ちいいくらいだった。
 
    「日に焼けるしこれでいい」
 
    無駄な努力と思いつつ凪子は引かれている布地を取り戻そうと足掻いてみたのだが、力はゆるまる
 
    ことはなく、途方に暮れてしまう。
 
    「これ、塗ったるから座りい」
 
    どこから見つけ出したのか、彼の手に握られているのは日焼け止め。
 
    「いい、自分でできる」
 
    これはもう、水着がどうのと行っている場合ではなくなったと悟った凪子は、激しく首を振りなが
 
    ら力の限りにパーカーを引っ張った。
 
    薄い木綿がだらしなく伸びていくが構ってなどいられない。半裸の体に液体を塗りつけるなんてい
 
    かにも京介の喜びそうなシュチエーションはそのまま貞操の危機だ。
 
    「照れることないて、恋人同士やん」
 
    「キスしかしてないのに、体に触られるなんていやー!」
 
    そう、二人の仲は未だキス止まり。あの夜から2ヶ月清く正しい男女交際を実践している
 
    凪子にとって、肌に触れられるのは未知の体験なのだ。
 
    「そんならあそこに行ってから、もいっぺん泳ぎにこよか?」
 
    指さされた先には派手な装飾でご利用を待っているラブホ。
 
    もちろん京介は返事次第で即連れ込むぞって顔をして凪子を見上げていた。
 
    最近、彼の口からよく出る誘いの言葉に彼女の顔は真っ赤に染まる。
 
    そりゃあ目眩のするような深いキスにも少しは馴れてきたけれど、かすみ達にもそろそろ進展報告
 
    を迫られてはいるけれど、覚悟するならもう少しロマンティックな方がいい。
 
    こうゆうことには流れってものがあるはずだ。
 
    「どうしていきなりそうなるの」
 
    期待に目を輝かせる獣カレシを睨みつけると、凪子はするりとパーカーを脱ぎ去った。
 
    できる限り京介から離れなければ、高速で動き続けている心臓が壊れそうだ。捕まらないように後
 
    退りながら、彼女は落ち着くための浅い呼吸を繰り返した。
 
    しかし、当然追ってくるものと思われた京介は涼しい顔でボールを取り上げると、行こうかと手を
 
    差し伸べてくる。
 
    「…どこへ?」
 
    「どこって、海やろ。決まっとるやん」
 
    疑い醒めやらぬ表情の凪子をきょとんと見つめて、京介は銀色の水面を顎でしゃくる。
 
    「ようやっと水着になったしな、これで水ん中入れる」
 
    ホルターネックのビキニを眩しそうに見た後、陽気に笑った彼は一歩で凪子に近づいて耳元に顔を
 
    寄せた。
 
    「似合うとるよ、かわええ」
 
    今までのやり取りは彼女からパーカーを取り上げる手段。
 
    そして気づいて慌てた凪子に自信を与える甘い声。
 
    搦め手で上手に彼女を浮上させた京介に抵抗する気も消え失せて、凪子は微笑んだ。
 
    いつだってこの男にいいように操られてしまう、わからぬように巧みに。
 
    それが心地いいから困ったものだ。
 
    「よし、遊ぼう!」
 
    機嫌良く宣言した凪子の肩を大きな手が引き寄せた。
 
    素肌に感じる体温がくすぐったくて、首を竦めた彼女は声を上げて体を捩る。
 
    「夢見る少女の凪子を誘うんなら、もっとうまくやる」
 
    聞き取れないほどの小声で囁かれた言葉は、風が攫っていった。
 
 
 
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