37.

2つって年の差は、子供にとって果てしなく高い壁のように思える。
まだ小学生の南々と、もう中学生の京介と。
背伸びをしても届かない距離。だからカノジョと歩く京介を止めることも、そのカノジョに自分が取って代わることもできない、 ランドセルと鞄の違いは、存外大きいのだ。
それは、隣のおばさんが一緒にと誘ってくれた水族館でのこと。
同い年の聡介と違って、その日デートをドタキャンされた京介はイヤイヤ自分たちの相手をしているとちゃんと分かっていた。
だけど、嬉しくてはしゃがずにおれなかったのだ。
髪を伸ばして、片耳にだけピアスをつけた彼は、一年前とは全然違って眩しいくらいに輝いて見える。まだ王子様を夢見る 南々には、それこそアイドルスター並みに京介と過ごす時間は貴重で、夢見心地で、近さに眩んで。
『京ちゃん』
おみやげコーナーをぶらぶらしている彼の腕に思い切ってぶら下がった彼女は、ちょっと顰められた顔にもめげず、目につい た透明のイルカを指さした。
『ねぇ、あれ買うて』
今日の思い出に、輝いているあれはぴったりに見えたから。
『残念やけどな、俺今めっさ金かかる女とつきおうとるの。無駄金はないから、自分でどうぞ』
言葉は柔らかかったけど、苦笑いする感じの拒絶に南々が唇を噛んでしまったのは致し方ないことだと思う。
好きだった時間なら、京介のカノジョになんか負けないのに。物心ついたときから追いかけてきた彼を、一番知っているのは 自分で、この先だってそれ以上の女なんか現れるわけがない。
なのに、子供ってだけでその道が閉ざされたのだと南々は悔しかった。
後ほんのちょっとの時間で、京介に目を向けてもらえる年になるのに、そうしたら絶対どの女にも負けないのに。
『…京ちゃん、ほんまにその人のこと好きなん?』
だから、問いかけは負け惜しみのように聞こえたのだと、幼い彼女は気づけなかった。
他人の心を思いやるより自分の感傷に浸ってしまう独りよがりは、子供特有の思考だと。
『そら、なぁ。カノジョやし』
笑う京介は、すっかり小さな子をいなす気分だ。
『私だって好き!京ちゃんがめっちゃ好き!こんだけ言うてんのやから、カノジョにしてよ!』
『う〜ん、でもなぁ。南々、小学生やし』
感情的に詰め寄って、切り札を出されて、悔しさはあっという間に涙になった。
ぶわっと視界を曇らせる勢いでせり上がったそれを、京介は宥めることなく困り顔で眺めるだけ。抱きしめても、拭っても くれない、それが南々と彼の距離。
『じゃ、大人になったらお嫁さんにしてくれんの?あのイルカも買うてくれる?!』
極論だろうとなんだろうと、子供がいけないって言うなら大人になればいい。
やっぱり単純にそう考えた少女に、元来面倒が嫌いで嘘つきな男はあっさり頷いた。
今この状況から抜け出せるなら、適当に丸め込んでしまえと。
『ああ、南々が高校卒業したらな。そしたら考えたる』
すっかり染みついた心のない微笑みと、適当に過ぎる口約束と、けれどそれは純粋な子供相手には通用しない嘘だと、考え もしないで、請け合う。唯一の救いは断言せずに、お茶を濁した辺りか。
『ほんま、ほんまね?!約束やからね!!』
『あ〜はいはい』
こうして、どうにも噛み合わないまま、南々に大切にされ京介に忘れ去られる約束は交わされたのだ。


「あったなぁ、そんなこと」
すっごくばつが悪そうな顔してるのは、自分が悪いって気付いてる証拠。
現に北条さんはしきりにあたしを伺ってくる。ちくちく刺さるその視線は、自己弁護のような反省のような、なんとも複雑 な色を帯びていて、そのくせ素気(すげ)なくもあるのよ。
「悪い、南々。それ買うてやることはできるけど、お嫁さんは無理」
彼女が持つマリンブルーのイルカを指して、ばっさり言い切ってしまった。
美咲さんの時も思ったけど、こんな時の彼ははっきり拒絶を口にするんだ。
妙な期待を持たせないようになのか、元々そういう性格なのかはわからないけど、曖昧なことは、言わない。
「なんで?!約束やったでしょ」
縋られても一顧だにせず、微笑んで首を振るだけで。
「そんな約束はしてへん。考えてみる言うただけなんを、都合良く覚え違えたらあかんやろ?」
諭す口調なのが悔しいのか、唇を噛んで俯いてしまった南々さんに、何故かあたしはシンクロして胸が苦しくなった。
だって、好きなんだよね。だから、約束を大事に大事に抱えて、いつか願望通りに相手の答えを歪めてしまうほどに想って、 望みが少ないと感じるほど、諦めの悪い自分だけが膨らんでいく。
『なんで…?約束したのに…』
指切り、したのに。絶対って、笑ったのに。
真っ赤に染まった部屋と、けば立って傷んだ畳が、変にはっきり網膜に焼き付いていた。
まだ夕方にはほど遠いというのに、急に周囲が色づいて景色も気持ちも澄んでゆくような。
「俺な、凪子に本気やの」
突然引き寄せられて、沈み始めていた思考の海から引き戻されたあたしは、傍らの北条さんを認めて我に返る。
…何を、思い出しそうだった?大事なこと、だけど、思い出しちゃいけないこと。
ゆらゆら揺蕩う記憶のしっぽを掴まえ損ねたせいで、南々さんに対する深い感情移入は消えてしまったけど、行動で示す 北条さんに顔を背けた彼女の切なさはやっぱりわかっちゃうのだ。
お前じゃダメだと突きつけられるのは、つらいもん。だけど、だけどね?
「ごめんなさい。でも、あたしも好きなの」
北条さんがあたしでいいって言ってくれるなら、この恋は譲れない。
ぎゅっと彼のコートの裾を掴んで勇気を貰いながら、俯きながらも強く主張したのを、優しく肩を抱いて肯定してもらって。
「ありがとう」
嬉しそうな声と、
「やめといたらええのに」
呆れたような声が入り交じり、
「…はじめっから、そう言うたらいいのよ」
一拍おいて、怒った南々さんの声で完結した。
「え…?」
その声音に混じるどこか諦観した響きに、思わず顔を上げ強い瞳とぶつかって。
「あんた、私がなんぼ京ちゃんに触っても涼しい顔して、自分だけ蚊帳の外におるんやもん」
驚いてまじまじ見やったあたしの頬を抓ると、彼女は子供みたいにべっと舌を出した。
「好きなんやったらはっきりヤキモチ妬いて、私んのやって主張したらええのよ。そしたら京ちゃんも嬉しいし、私かて 諦められんのになんもせんから。てっきり譲ってくれるつもりなんかて、張り切ってしまったやろ」
「…も、もめんなひゃい」
不明瞭な発音だけど、謝ったの。だけどあからさまに分からないって表情した南々さんは、頬肉を引っ張る指に更なる力 を加えて。
想いの分だけの痛みと、しっかりしなさいって激励が籠もってるよう、感じる。
「だから、なんで謝んの。ほんまに京ちゃんくれんの?」
「だめ!」
少し苛立ちを覗かせた南々さんから逃げ出して、隠すよう北条さんの前に出たあたしはバカだ。
だって、これだけ身長差のある人を自分の後ろに押しやったからって、頭隠して尻隠さず、本末転倒。
頭上からくすくす零れる2つの笑いにむかつきながら、でも譲れないからと胸を張ると、それでいいんだとばかりニッと 笑うライバル。
「ちっちゃい子が、お父さん独り占めしようとしてるみたいやね。そんな一生懸命にならんでも、きっぱりふられたし、 あんたもはっきりゆうたから諦めますて。あ、でも」
そう言った南々さんがガラスのイルカをあたしに押しつけ、代わりに手にしたのはペンギン。イルカと同じガラス細工だ けど、一回り大きくて恋人同士?夫婦?ちょっとだけ大きさの違う2匹が寄り添うもの。
「私に京ちゃんより何倍も格好いいカレシができるお守りに、いいと思わん?買うてはくれるんでしょ?」
いたずらっぽく瞳をクルリと回した彼女に、躊躇いなく北条さんは頷いた。
「ん。ええよ」
「やった」
はしゃぐ彼女からペンギンを受け取った彼は、付いてる値札を見て一瞬瞠目したけどすぐ微苦笑を浮かべ、財布を取り出 す。
こういう潔さがあたしはやっぱり好きで、それっきり余計なことを言わない北条さんは、だから女の人がほっとかないん だと再認識しちゃったりもした。
ごめんとか、このシチュエーションで謝られたら、あたしなら泣くもん。
南々さんの本心は上手に隠されて、彼女に近しい人しかわからないだろうけど、恋を手放すには代償がいる。
痛みを隠して陽気に振る舞う彼女の、心を読んではいけない。口に出してもいけない。
見ないふりをする優しさを、北条さんはサラリと実践することができるから、好きになってしまうのかも。容姿じゃなく、 話術でもなく、彼という為人に惹かれるの。
「…やだな、敵が多そうで…」
思わず硬質なイルカ相手に愚痴ると、ふわりと髪を撫でる温かな手。
「それ、欲しかった?」
いつのまに会計を済ませたのか、袋を手にご機嫌な南々さんを従えて北条さんが聞く。
「ううん」
慌てて陳列棚にそっと戻して踵を返し…掌を差し出す彼に戸惑った。
そこは今日、南々さんがいた場所で、取り戻したくて悔しかった腕の中だけど、辛い人がいるのに。
「ほら、いつも通りにせんと南々が気にする」
引き寄せた人に耳元で囁かれて、あっと思い出すなんて。だから、あたしは。
そう、気付かないふりで少し気を使う。一番難しくて、一番の優しさを、誰にでも。
「すごいね、北条さんは」
「はは、凪子に褒められるなんて、珍しなぁ」
手を繋いで腕を伸ばした距離が普段よりほんの少し遠いんだってこと、知ってるのはあたし達だけでいいの。


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