41.

不眠不休だった彼等に許された休息は、一晩。たったそれだけだったけれど、久しく屋内のベッドで眠っていなかった身に は、ありがたく充分なものであった。
「なんだ、お前達。野宿でもないのに一緒に寝たのか」
華美ではないが重厚で広々とした食堂に、ディールに伴われたヒナが入ってくるとヘリオは呆れたよう問う。
「だって、暗くないんだもん。眠れないでしょ、1人じゃ」
繋がれた手を放しもせず応えたヒナは、いつものことだとその遣り取り、気にも留めない風だ。
「…からかったつもりだったんだが、本当なのか?」
「だろうね。昨夜ディールに聞きたいことがあって訪ねたら、もぬけの殻だったから」
「呆れた男ですね。僕を差し置いてっ」
朝食を食べていた面々は口々にぶつぶつ言ってみるのだが、そこはそれ。日常である出来事にいちいち心を 砕く人間はいないのだ。セジューでさえ、おとなしく口を噤んだくらいだ。
ともかく、上機嫌のディールに促され席についたヒナは、おいしそうな料理に小さく歓声を上げてフォークを取る。
「ねね、これ何?」
「この地方特有の野菜ですよ。少し甘みがあって、おいしい」
「へぇ…あ、ふんほは(ホントだ)…んぐ…おいしい」
「でしょう?これもおいしいですよ。はい、口を開けて」
「あ〜ん…んぐんぐ。おお、おいし〜こっちは?こっちは?」
「はいはい、どうぞ」
「わ〜い♪」
…べたべたイチャイチャ、見ていると食欲も失せようというものだが、視界にさえ入れなければどうということもない。
3人は無視を決め込んでおいしい食事を淡々と消費していくのだが、そうもいかないのは周囲に控える人々だ。
そう、ここは野中ではない。
城の如き館の広々とした食堂なればこそ、賓客をもてなすため執事はじめ数人の使用人が、滞りなく仕事をこなそうと 目立たず堅実にそこかしこに、いる。
であるのに、ヒナとディールは人目も憚らず張り付いているわけで、しかも憐れな彼等を戸惑わせる理由がその光景には 含まれていて。
−−−『夜の娘』は何故、躊躇いもなく忌み人に、触れるのだ−−−
この世界の人間であれば唾棄して然るべき彼と手を取り合い、微笑み合う彼女は、あまりに奇異で、だからこそ異端で。
「…あの方は本当に…無二、なのですね…」
思わずそんな呟きを漏らさずにおけないほど、ヒナは特別に写ったのだった。
闇に迷わず手を伸ばす者、『夜の娘』であると。
誰もが知ることのない夜を、引き寄せる者であると。
「おや、皆さん早起きですね」
様々な思いが交錯する場を割って響く声は、低く耳に心地良いこの館の主のものだ。
「ゆっくりお休みになれましたか、殿下?」
件の2人の後ろをにこやかに通り過ぎ、ヘリオの正面でイスを引くと、慌てて現実に戻った使用人達の挨拶に微笑みを 返す。
「お茶を。ああ、後はいい」
テーブルにいくつか用意されている果物を皿に取ると、クロードはお茶を差し出した執事に目配せして退室を促した。
1人また1人と食堂から人が消え、残るは5人の客と主のみ。
「いかがです、望み通りの反応は引き出せましたか?」
静かにカップを取ったクロードが視線をやった先では、既に平時の距離を取り戻したヒナとディールが苦笑している。
「どうなんだろう。あたしは自分のことでいっぱいだったから。ラダー?」
「ああ、まあ、だいたいはね。充分あんたがおかしいってわかっただろうさ」
「ええっ?!おかしいんじゃ、ダメじゃん!」
魔女の瞳に揶揄の色を認めているからこそ、大げさに叫んで見せても彼女は、安堵していたのだ。
昨夜のそこはかとない恐怖を、僅かながらも拭えて良かったと。
見渡したヘリオもセジューも、事情を知らないはずのクロードでさえ励ますように微笑んでくれて良かったと。
それは、夢が途切れた明るい真夜中のこと。
緩んだディールの腕の中で思い出すのは、ヒナが彼を擁護した時にクロードの背後の騎士が見せたあからさまな嫌悪だ。
一瞬で、とともすれば見落とすほど微かな反応ではあったが、ここしばらくでディールに示される感情の激しさを知っ てしまった彼女には、見過ごすことができなかった。
憎しみが、あまりに濃くて。その重圧がディールを殺してしまうのではないかと、震える。
やり場のない全てをたった1人にぶつけるなんてあってはならないのに、分かっていない?
「ひどいよ…」
やるせない思いで、滑らかな漆黒の肌に指を寄せる。目を閉じた頬に落ちる純白をふわりと解きながら、ヒナは人の存在 を思うのだ。
知り合わなければ他人は、存在しないも同じであるはずで、言葉を交わして初めて、自分の世界に現れた誰かを認識する。
ディールだって一緒だ。
他にない色彩を纏っているからといって、彼が人でないわけではない。喋り笑い泣き、考える人間なのだ。
小さな動物を慈しむくせに、言葉の通じる相手とわかりあおうとしないなんて、なんて愚かなことだろう。どれほど悲し いことだろう。
「ヒナ…大丈夫、大丈夫ですよ」
噛みしめていた唇を、優しい指がなぞる。深い海色の瞳が、気遣うように彼女を見ていた。
「あなたの感情は、私を蝕む。何故、でしょう」
ふっと困ったように歪む唇がけれど、どこか嬉しそうなのはどうして。
「誰も私と通じる者など無かったのに、あなただけがあけすけに気持ちを見せて下さるから」
隠すもののない明るい夜の中、彼が取ったヒナの指はピタリとディールの心臓の上で止まって。
躊躇うように宙を撫でた後、やんわりそこに押しつけられる。
「こうも、胸が躍るのです。歓喜で騒ぐ」
指先が捕らえる、薄い布越しの鼓動。じっと見つめ合ったままだった瞳はあまりの近さに痛みを感じるほどで、 瞼を閉じたら、望むモノは与えられるだろうか。
微かな期待にヒナも鼓動を走らせて、そろりと視界を閉じてゆく。
「あなたがいれば…あなただけが私に触れて下されば…どれほどの人に詰られようと…私は…」
羽のように掠めていったのは、果たして?
問うように見上げれば、笑みを震わせたディールが掠れた声で囁く。
「私が、触れても。気持ちをぶつけてしまっても。…あなたは、壊れたりしない…?」
幼子のような不安に、自分から唇を触れ合わせることで応えたヒナは、鮮やかに微笑んで見せた。
「壊れないよ、絶対。ディールと全部混じったって、全然平気だもん」
だから、触れて。
促す仕草に僅か躊躇って、彼が押しつけられる。始めはそっと、次第に強く、強く。
「ヒナ…愛してる…この世の全てより、私自身より、あなたを…」
口づけの合間、零れる言葉が切なくて。
「うん、あたしも、好き」
守ってあげる、何からも、誰からも。
そうして、彼の手を取ってベッドを降りたヒナは。
時間など考えることもなく、ヘリオをラダーをセジューを純に叩き起こすと知恵を借りたのだ。
ディールを認めさせるにはどうすればいいのか、自分が『夜の娘』だと信じて貰うにはどうすればいいのかと。
「お芝居なんてできないから、棒読みになってなかったかめっちゃ不安だったんだ〜」
ホッと肩の力を抜いたヒナに、隣のセジューは鮮やかに笑んで見せた。
「お上手でしたよ。次は、僕を相手に披露して下さい。協力したんですから、約束でしょ?」
必要以上にディールに彼女が触れて見せることで、『夜の娘』が特別であること、彼がなんの害もない存在であることを 示せばいいじゃないかと言ったラダーに、最後まで反対していたのがこの男だ。
彼の気持ちを考えれば、当然といえば当然の反応であろうが、全員参加の作戦であるからなんとか説得を試みるしかない。
苦し紛れではあるが、ディールと同じことをその後させてやるとヘリオが請け合うと、渋々ながらも大人しく見ている と頷いたのだ。
報酬を求められるのは、当然。
「さ、どうぞ。あーん」
「……あーん」
不本意ながらそんな茶番を再び始めた2人はそのままに、どうやら話しは進む模様だ。
「では、『夜の娘』も認められ、ディールの名誉も挽回できたところで本題をよろしいですか?」
そっとカップを置いて、クロードが静かに語り始めたのは、宮殿への侵入方法だった。



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