40.

荒涼とした山岳地帯って表現、あるんだろうか?
緑より茶色の多い山道をゼイゼイ下りながら、なぜだか国語的表現について考えていたヒナは、突如止まったセジューの 背中に思い切り鼻をぶつけて涙をにじませる。
「イタイ…」
実のところ痛いのはそこばかりではない。かつて無いほど動かし続けた足とか、どんな繋がりなのか背中とか、なんだか 慢性化してじんじんずきずき体中が鈍痛に苛まれているのだ。
なので普通だったらたいしたことのないダメージについよろけ、腰を折った状態で背後のディールに支えられ、低くなった 視界に飛び込んだ光景に絶句した。
「大丈夫ですか、ヒナ?」
「どうしたんです」?」
双方からかかる声にも反応ができないほど、目にしているモノは恐いやら素晴らしいやら。
「…あれ、何?」
切り立った崖を背に、張り付くようにそびえる純白の館。眼前には深い青を湛える湖が館と同程度の広さで配され、周囲は 見事な平原。
まるで絵画のように素晴らしい景色も、自分がその崖の天辺に立っているとなれば楽しむどころではない。
一歩踏み違えれば、軽く数十メートル落下して屋根で潰れるか岩壁で大根おろしか、なにかの冗談のように体が弾めば底の 見えない湖で水死体というのも考えられる。
「ヴェルデール侯爵家の屋敷だ。いや、正確には要塞か?まあ、帝国内に於いて一番安全であることだけは間違いない住居 だな」
茫然自失の体でいるヒナに短く説明すると、ヘリオはさっさと次の行動に移ってしまった。
確かに、皆の疲労はちょっとやそっとで言い表せないくらい溜まっているし、無駄話している時間はない。1分1秒を争っ ているのはわかる。わかるが…。
「ちょ、ちょいちょいちょい!!なにしてるの、そこ!!」
泡を食っているヒナに、殿下と共に崖から身を躍らせたラダーは微笑んで言ったもんだ。
降りる(・・・)んだよ」
「え、ええっ?!」
「さあ、私たちも参りましょう」
彼女を抱えたままのディールも微笑んで、その役は僕がやりたかったのになどと不平を並べるセジューを伴って躊躇無く 岩を蹴る。
「い〜や〜!!これは、落ちてんのよ〜!!」
耳鳴りがするほどの風切り音も、認識できる間もなく流れていく景色も、逆らいきれぬ重力も、降りるなんて悠長なモノ では有り得ない。
必死に生き延びてきて、なんで最後が身投げなのかさっぱりわからないヒナは、不覚にも意識を飛ばす寸前だった。
がつんっと何かにぶつかった衝撃があって、全身にかかっていた重力が無くならなければ間違いなく、この世界に来て から馴染みになりつつある気絶を再びするハメになっただろう。
「目を開けて下さい。大丈夫、恐くないですよ」
ふわふわと妙な浮遊感に恐怖は薄れつつあったけれど、柔らかなディールの声に促されて周囲を見るには、彼の首に両腕 を回しきつく抱きつく必要があった。
「ヒナ、落ち着いて」
「無理。絶対」
苦笑を滲ませたディールに即答して、絞め殺す気じゃないのかと言うほど腕に力を入れて、そろりと開いた瞼は霞んだ 視界に恐ろしいものを見せる。
「やーだっ!やだやだやだ!!やーっっ」
浮いている自分など、想像するものではない。まして体験するなど、もってのほかだと、踏ん張ることもできない空の 上で確認した。
これでパラシュートでも背負っていればスカイダイビングになるのかもしれないが、多分間違いなく怪しげ魔術を使 って落下を止めた現状をヒナは受け入れることができない。
なまじ科学知識が多いだけに、原因と結果が目に見えない力相手では端から信用することが難しいのだ。
例え、自分が世にも希なる力の使い手であったとしても、それとこれは別である。
「苦しい、ヒナ。私が意識を失えば確実に落ちますよ」
「それは、もっとや〜っっ!!」
押し寄せる恐怖と戦いつつ腕を放していくことは並々ならぬ努力を要したが、長い髪を掴みそれを分厚い外套、更には ディールの香りがする衣服にとゆっくり移動して、定位置となった胸の中に収まるまで背を優しくなで続けてくれた 掌があったからこそなんとかなった。
「いい子ですね…」
きつく目をつぶったままそんな褒め言葉を聞けば、気も静まる。
「お待ちしておりました、殿下!」
そんな長いようで短い空の旅は、恭しくヘリオの前に膝を折る中年男性の美声と共に終わりを告げた。
そっと爪先を触れたバルコニーは余裕でお茶会が開ける広さがあり、主始め彼を囲むように数人若い騎士がヘリオに平伏して 忠誠を示している。
「久しいな、クロード。此度はとんだことに巻き込んで、すまない」
親愛の情が滲む声には、申し訳ない心苦しさも内包されていて、ヘリオは自分も膝をついて年嵩な侯爵に視線を合わせた。
「何を申される。ガグラム殿が宮殿で貴方をお守りすることに命を賭すのであれば、私は城外の要であろうと努めて参り ました。故に堅牢さでは類を見ない館の造営にも力を入れたのです。ここが殿下のお役に立つのなら、これ以上の幸せ がありましょうか」
「…俺の方こそ、貴方のような味方がいてどれほど心強いか」
覗き込んだクロードの顔はヘリオがもっとも信頼を寄せる微笑みを湛えて、昔と変わらず迎えてくれる。
彼は、ガグラムと共に幼少期の皇太子を教えた貴族であった。
無骨で豪快、力でもって近衛兵を纏めていたガグラムに対し、知的で落ち着いた美貌を湛える参謀のクロードは、ヘリオに 忍耐と知略の重要性を何度も説いた。
『優れた剣術を身につけようと、武力にばかり頼っては臣民の心は離れてゆきます。まず、お話しなさい。誠心誠意相手に 対峙し、けれどそこには幾ばくかの謀略も乗せるとよろしい。力によって政はできませんが、けれど綺麗事ばかりでも政は 立ちゆかない。何事も匙加減が重要なのですよ、殿下』
にこやかなクロードは虫も殺さぬ顔をして、だが豪放磊落なことではガグラムをも凌ぐ男である。
現王に隠居を申し出てこの辺鄙な館の施工に着手すると宣言した時は、王宮中の人間が止めたものだ。もちろん、己の信念 に従って生きる彼は掴めない笑みでもってそれらを交わし、さっさと思う通りにしてしまったのだが。
「殿下のその心根が、私は好きなのですよ。人の上に立つ者が必要とする資質を、貴方は生まれもっている。ですが、皇太 子がそう易々と臣下に膝を折ってはなりません」
昔から何度も申し上げておりますのに。
苦笑いに唇を歪めながらも、恭しくヘリオの手を取ったクロードは共に立ち上がり、くるりとラダー達に視線を送る。
「ようこそおいで下さいました。館の主、クロード・フォン・ヴェルデールです」
高位の侯爵は惜しげもなく白いものが混じった頭を、見も知らない人間に下げるのだ。
「境界の魔女、ラダーと申します。頭上からの来訪などと、礼を欠いて申し訳ない」
「セジューと申します。訳あって共に旅をしております」
「…ディール…いえ、夜の罪人と申し上げた方が、馴染み深いでしょうか」
「ディールはディールじゃん。余計な修飾はいらないと思う」
自嘲を滲ませた声の後、不機嫌な顔を彼の外套の中から覗かせたヒナは、しきりに周囲に同意を取りながら最後に真っ直ぐ クロードを見る。
「ディールは悪くないと主張したい『夜の娘』候補、オオコウチ・ヒナです。あ、候補ってつけてるのはいまいち自分に 自信が持てないからで、あたしを見つけてくれたみんなの見る目が無いとか言ってる訳じゃないですからね?そりゃ、 ヘリオは力業ばっかですけど、たまに頭も使えるみたいだし、ラダーも見るトコはちゃんと見てるし、ディールなんて あたしに命預けてくれちゃってるんだから、ホント無謀って言うかなんて言うか。セジューなんか贔屓の引き倒しだもん ねぇ…これのどこに自信を持てる要素があるのか…いや、違う違う、これじゃみんなの見る目は無いってことになる じゃん」
彼女の言葉は短い間周囲を静かにさせて、その後何がツボにはまったのかクロード大爆笑させるという偉業を成し遂げ た。
付き合いの古いヘリオによれば、偉大なる参謀様が声を上げて笑うこと自体、異例中の異例なんだとか。
それじゃあいつもはニヒルだったり皮肉っぽかったりする笑みを口元に浮かべるだけなのかと想像したヒナは、まるで 悪代官のようだと呟いて、更に皆の笑いを誘ったのだった。



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