38.
軽く背を叩いたヘリオの掌が妙に温かくて泣きたくなったヒナだが、現実は気を抜く時間を与えてはくれない。
「さて、それじゃあそろそろあたしの出番かね」
少女と共に傍観を決め込んでいたラダーは面倒そうに宣言すると、戻ってきた男達にヒナを託し、ぐるんと肩を回した。
「え?何すんの?」
周囲は既に屍累々といった有様だと思うのだがという、ヒナの疑問に答えるのは言葉ではない。
魔女が不意に放った光弾と、小さく上がった女の悲鳴と。
それは、なんの変哲もない岩に見えていたのだ。人1人、優に隠してしまう大きさはあったけれど、周囲の砂とも見分けの つかない色で形で、まさか…ラダーの攻撃に陽炎のように揺れて若い女の子の姿になるなんて思いもしない精巧さで。
「気づかれないとでも、思ったのかい」
砂地の真ん中で座り込む彼女は怯えているようだったのに、高飛車に言い放った魔女は既に次の呪文の詠唱を始めていた。
「あ、貴女は、誰なんですっ…」
引きつり後退る魔術師は、帝都であまり詳しい状況を聞かぬまま戦場に送り込まれたのかと、ラダーは片眉を吊り上げる。
「境界の魔女、と言えばわかるかねぇ」
途切れた韻律の狭間、零れた二つ名は同じ道を進む者にとってあまりに偉大で、敵に回すにはあまりに恐ろしく。
「きょ、境界の!」
掠れた声も引きつった顔も、彼女が一瞬にして戦意を失ったと悟らせるにはあまりに明確で、完成した術で縛り上げるのに 魔女は少しも苦労をしない。
「術師を残すと応援を呼ばれて面倒だ。聞きたいこともあるし、しばらく連れ歩いちゃどうかね?」
振り返ったラダーにヘリオは頷くことで肯定すると、足早に転がるヒデルに近づき遙か高みから冷徹な声を落とした。
「残念だが、お前と遊んでやれるのもこれまでだ。しばらくしたらその女魔術師を解放してやるから、命は助かるだろう。 帝都へ戻ったら皆に、伝えてくれ。罪人はここにいる者を『夜の娘』と認めた。神殿にいる女ではなく、な」
「夜のっ!…夜の残像が揺れたのを、殿下は、ご覧になっていないのか…っ!」
帝都中が本物の救い主が現れたのだと信じた瞬間を、ヘリオ達は目にしていなかった。
瞬きほどのあいだ空を染めた漆黒は一体いつ現れ、消え、人心を動かし、ヒナを追いつめたのだろう。
激しく荒れ狂った魔力の只中に身を置いていた時であろうか?それとも帝都にだけ現れた幻なのだろうか?
ファーセオンからその知らせを受けたヘリオとて、もしやと『夜の娘』の真偽を考えなかったわけはない。ディールが継いだ 血と、己の直感を信じながらも、誤ったかと不安が過ぎった。
ヒナが夜を知っている確信を持ち、また千年前の当事者の幽霊を憑けている現状を知っていても疑いを抱くのだ。見も知らぬ 娘より、奇跡を見せた存在を民が信じるのは至極当然といえよう。
だからこそ、ヘリオは出現したという夜に、某かの策略が絡むと断言できた。方法は知らないがそれは、神殿に潜んだ偽物が 帝都を混乱させ分断するために使った、魔術なのだと。
「見ていない。だが、例え夜が姿を見せたのだとしても、永続的でなければあの娘を本物と認めることはできない」
それが答えだと、見上げているヒデルに答えれば、彼は憎々しげにヒナを一瞥して鼻で嗤うのだ。
「我らとて、同じです。奇跡の一つも起こせない娘の、何を信じよとおっしゃるか」
「月の玉を持たぬ者に、無茶を言うな」
彼女の存在価値は、条件が揃わなければ示せないとヘリオは眉をひそめる。
罪人と月の玉と…おそらく千年前の魔術師達の想いと、それらを揃えてはじめてヒナは本来の役割を担うことができるはず なのだ。まだ旅の途中で答えを出すことなどできようはずもない。
しかし、セジューは僕がと、一歩踏み出した。
「この体は、奇跡ですよ。この世のどんな魔術師も成し得ない人体…っ」
得意げに胸に当てた指先から髪の一本に至るまで、人形に過ぎなかった彼を生身の人間に作り替えたのは確かにヒナだ。 充分奇跡として通用するであろう事柄だが、同時に誰にも漏らしてはいけない秘密であると、知らなかったセジューは抜き身 の大剣を喉元に押しつけられて沈黙する。
周囲からは退っ引きならない殺気が溢れ、これ以上一言でも喋ろうものなら死ねること請け合いだ。
「…なんの真似ですか」
怒りを含んだ声に、答えたのは静かなラダーの声で。
「あの子はね、死にかけたんだよ。お前さんを助けた後にさ」
「もう一度でもあれを発動すれば、待つのは確実な死です。もちろん、私がそんなこと、させませんけどね」
「あの花同様、禁忌だということだ。あんなものがあることは、誰にも知られるわけにはいかん」
自分が新たな体を得るまでに、随分な事が起こっていたことを初めて知って、セジューは口を噤まざる得なかった。
畳み掛けたディールも静かな視線を送ってくるヘリオも、本気だ。もちろん彼だってヒナに害を及ぼす気など毛頭なかっ たし、己の不用意な発言によって彼女が危険にさらされるとなったら死んで償うくらいでは済まないほどに後悔すること 請け合いなので、簡単に説明できる『夜の娘』の奇跡ついては今後決して語らないと固く誓う。
「…とにかく、彼女を神殿に連れて行って全てをつまびらかにする。…皆が安易な解答をつかみ取らぬ事を、祈るばかり だよ」
ヒナを守るためには仕方ないとはいえ、何一つ証明することができない現状に僅かな苛立ちを感じながらも、ヘリオはヒデル の横を抜け、固まっている魔術師に近づくと足の戒めだけを解かせ彼女を促して仲間の元に戻る。
すがら、かけられた問いに微笑んで見せながら。
「殿下はご自分で見つけられた『夜の娘』が本物だと、言い切れますか」
「もちろん」
その自信に満ちた答えは、ヒデルの中に何かを落とした。




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