36.


ろくな休憩を取ることもないまま、夜も日も走り続けて3日。国境の町まであと少しという辺りで、ヘリオが馬を止めた。
それに倣ったヒナも手綱を引きながら、皆の張りつめた表情に本能的な危機を悟る。
「…歩けますか?馬はこちらで捨てねばなりませんので」
少女を抱き下ろしたディールも心配げにのぞき込みはするが、常のように抱え上げて運ぶとは言わなかった。
誰もが黙々と荷を解き、疲れた体を押して徒歩で行軍するための準備をしているようだ。それも途切れがちに聞こえる 会話の内容から、右手に広がる道さえもない山へ分け入る算段らしい。
「…?」
目と鼻の先に見える町と、まばらに木を散らす山と、帝国に行ったことはないがどちらが正規の道程なのかヒナにも区別 くらいはつく。急ぐからこそ無理を承知で走らせ続けた馬を捨て、なぜ遠回りをしなければならないのか。
もしや、と隣を見上げると申し訳なさそうな微笑みが肯定する。
「ええ。町には兵が配備されているので、ここを抜けるよりないのです」
熱に揺れて浮かぶ陽炎のような町は、さすが国境に置かれただけあって周囲を頑強な壁に被われていた。戦ともなれば 隣接する国々と真っ先に衝突することになる地に兵が配されているのは至極当然で、故に追われている自分たちがおい それと入れる場所ではないとわかりきっているではないか。
だが、ヒナはなんとなく上手く入り込める秘策でもあるような気になっていた。自分が思いつけなくても、他の誰かが なんとかしてくれるんじゃないかとか、作り話のような安直さで危機を回避できるんじゃないかと。
「あたし…ダメだな。まだ全然わかってないや」
震えて力の入らない膝が、痛む全身が、紛れもない現実を突きつけてきているとうのに、愚かな。
嘆く暇もないのだと、呟いて手を動かした。ディールやセジューが無理をするなと声を掛けてくれるのに一生懸命微笑 んで、食料の入った鞄を肩に掛け外套を引き寄せる。
現実とは、止まらない時間だ。
疲れたと立ち止まれば、動き続けた者に追いつかれる。時にそれは死を意味して、絶対的な終わりを迎えるよりなくな るだろう。
それが嫌なら、進むしかない。答えの見えない未来でも、なにもせずに死ぬよりは余程マシだ。
「こうなったら、倒れるまで動くから。気合いで行っちゃうから、大じょっ…!」
自己完結後、意気揚々と決意を叫んだ口は、ディールの大きな掌に塞がれラダーは首を振りセジューは苦笑し、
「無駄に元気だな、お前は…」
ヘリオに頭を抱えさせることに成功した。
つまり、三者三様に呆れさせることができたわけだが理由がわからない。
「この辺りまで、偵察隊が来ているやもしれません。用心をするに越したことはないでしょう?」
首を傾げたヒナに静かに説明してくれたセジューが、実は自分より年下なんだと急に思い出せば恥ずかしくなる。
「ねえねえ、年齢詐称とかないよね?あたしの方が、子供みたいでバカなんだけど」
開放された口で真っ先にそんなことを聞いたものだから、ラダーは深い吐息に沈んだ。
「自覚があったんだねぇ…進歩はないけどさ」
とはいえヒナはバカではないと、魔女は思っていた。確かに言葉の端々は稚拙だったり思慮不足だったりするのだけれど、 彼女なりにきちんと考えて行動している。
突飛な発想や些か緊張感に欠けるあれこれは、ヒナが生きてきたという平和な世界の弊害であり副産物であり、それらは 経験がいずれ補って行くに違いないのだ。
「あなたはバカではありませんよ。素直で可愛らしいだけです」
「ええ、気にすることはないです。ヒナに足りないものは、僕が補いますからね」
…こう言うバカ共が際限なく甘やかしたりしなければ、きっと。
満面の笑みで女をダメにしようと画策する男共を蹴りたい衝動と戦いながら、ラダーはさてヒナは成長できるのだろうか と、老婆心を抱かずにおれない。
「そんなわけにはいかないの。あたしだって、頑張らないとまずいんだから」
今の所、彼女が無駄に張り切っているから杞憂であるだろうけれど。
「…ではせいぜい、大人しくしていろ」
静かに過ぎる声が、大分和んでいた空気を一瞬で凍らせた。
スラリと大剣を引き抜いたヘリオが、視線で自分たちの背後へヒナを押しやるのに、何が起こったのかと見回しても あるのは人気のない街道と、見通しのいい平原。そして背後の山ばかり。
「少し、危険かも知れませんから、大人しくしていて下さいね」
「そう、巻き添えを食うのはお嫌でしょ?」
キレイでそれでいて恐い笑顔の同じ顔は、いつものように目が笑っていなかった。
「ほれ、女子供は大人しく護られてこそ男に格好が付くんだよ」
ヘリオを中心に、三点で大きな扇形を描いた彼等は、中心部にヒナとラダーを据え背後の山を背負った隊形でゆるりと 近づく騎馬を睨んでいる。
「え…?いつの間に?」
気配さえ感じなかったと、唐突に姿を表した敵の存在に少女が動揺したのを、気にすることはないとラダーは笑う。
「腐っても、戦士。殿下もディールもたった2人で不安定な情勢の国々を渡ってきたんだよ?相応の実力くらいあるさ。 セジューだって戦闘用の人形として作られたんだからね、一般人よりそっち方面の能力が高くて当然だ。三流魔術師が 施した隠形なんぞ、見破れないわけがない」
「でも、だって、ラダーだってわかったんでしょ?」
非戦闘員だからと言われれば納得だが、自分だけ劣っているようで悔しかったヒナは絡んでみる。
「当然。あたしは名を知られた大魔術師だよ」
こう言われては、返す言葉もないが。
ともかく、無駄口を叩ける時間は刻一刻と削られ、再びヒナが前方に視線を戻した時には、馬上の敵30名ほどがぐるり と囲み、高みから威圧的に彼等を見下ろしていた。
皆揃いで金属の鎧を着け、腰には剣を一振り、最後尾の者が旗を掲げていれば物取りの可能性はなく、明らかに帝国の 兵士。どうやら町に入らずとも、手荒い歓迎を受けることは必至のようだ。
「お久しぶりでございます、殿下。第五中隊を指揮しているヒデル大尉です」
つっと進み出た一騎に乗る若い男は、見上げる位置にいてヘリオに名乗る。その口調を態度をなんと表現するのか、 ヒナは偶然にも知っていた。
「慇懃無礼…」
昂然と笑う様がどうにも神経に障る。全身から醸し出される空気が、相手を嘲笑し愚弄しているのがわかる。
殿下と敬称を付けながら、この男は爪の先ほどもヘリオを敬ってなどいない。いやむしろ、あからさまに蔑んでいると 言っても過言ではないだろう。
「ほう、わかるんならお前も満更バカじゃないぞ」
先ほどのヒナの自嘲発言を引用して、呟きにヘリオが唇を歪めた。もちろん、そのきつい視線の先には高飛車な騎士がい て、彼も王族としてのプライド故か相当に立腹しているのがわかる。
「仕方がないのですよ、愚かなヘリオ様。貴方は既に帝国の裏切り者にして、大罪人だ。神聖なる『夜の娘』を偽物だと 呼ばわって、そこのみすぼらしい娘こそ真の救い主だとほざく。賢明な帝国民の誰が、そんな貴方を敬いましょう?」
饒舌な嘲りは、無謀にも2人の悪魔に火を付けてしまったのだが、愚かな演説に酔っているヒデルが気付く由もない。
「…まずくないですか、ラダーさん」
ディールとセジューから立ち上る黒い霞が禍々しくて、本能的に体を丸めたヒナはこっそり魔女に耳打ちする。
「…まだ、大丈夫だろ…」
密に防御を固めながら、これ以上迂闊に奴が言葉を重ねなければと、魔女が考えた直後、やはり空気の読めない阿呆と いうのはやらかすものなのだ。
「ですが、今すぐ娘を殺すというのなら、道は開けます。骸を引き摺って罪人を従え、大魔女を供にしてお帰りになれ ば、汚名はすすがれ民の信頼を取り戻すことも可能でしょう。…おや、そういえば罪人そっくりなその男はどこでお拾 いになったので?」
得意げに語る顔から恐る恐る視線を逸らせば、目の前の背中がゆっくり振り返り壮絶な笑みを浮かべて問うのだ。
「ねぇ、ヒナ。面倒ですから消していいですか?」
掌に目映い光球を作り出しているセジューを、止める術を彼女は持たない。


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