やっとの思いで休暇をもぎ取って、質素ながらも挙げた結婚式の果て熱海で新婚旅行の何が
 
       不満なのかしら?
 
       観光も食事もちっとも楽しんでないし、部屋に帰ってからは熊みたいにウロウロしちゃって。
 
       表情も会社にいる時と一緒、鬼の課長様よ?
 
       「…課長、ここにいるのがご不満でしたら、今から東京行きの切符を手配致しましょうか?」
 
       この口調、セリフはもちろんイヤミね。
 
       緑さんと結婚することになったと報告した時、営業二課は一瞬凍り付いたのだ。ひそひそぼ
 
       そぼそ聞こえる声は、大抵怯えを含んだもので
 
       「早まってるんじゃないのか?」
 
       とか、
 
       「相手選んだ方がいいよな」
 
       って、失礼極まりないもので、私が相手じゃ釣り合わないって言われたの。なのに、
 
       「ひがみだ、気にするな」
 
       と慰めた本人がこの態度?同僚よりよっぽどひどいじゃないのよ。
 
       行動でも示さないとわからないだろうから、さっさとボストンを引っ張り出して荷造りまで
 
       始めようとするところへ、緑さんの手が伸びる。
 
       見上げれば、バツが悪そうに顔を歪めた彼が居て。
 
       「不満などない。やっと美月を妻と呼べるのに、そんなものがあるか」
 
       真摯に声に力を込めてくれたから、取り敢えず怒りは引っ込めてあげるわ。
 
       でも、その後の間がホント気になるんですけど…もしや。
 
       「アスカのことかしら?」
 
       「………」
 
       無言で視線を逸らすのは、肯定してるのと一緒なのにね。
 
       ここまでパパになりきらなくても良さそうなものなのに、この人ってば。
 
       呆れを含んだ小さな吐息に気がついて、緑さんは眉を跳ね上げるといきなりお説教モードに
 
       突入してしまった。拳を握って、なんか熱血してるのよ。
 
       「母親なら娘が気にならないか?しかも別れ際アスカを抱いていたのは青だぞ!あいつは破
 
        廉恥にも4歳児を嫁にもらうと公言したばかりか、ことあるごとにベタベタと…もしアス
 
        カに何かあったらどうするんだ」
 
       「あるわけないでしょ?青くんはしっかりしたいい子じゃない。もっと弟を信じなくちゃ」
 
       「青だからこそ信用ならんのだ。考えてみろ、今アスカに一番近い異性があいつだぞ?」
 
       ……これ、なんて病気かしら?すぐにもお医者さんに見せた方がいい?
 
       過剰なまでに心配した挙げ句、旅行中気もそぞろだったわけ。ふ〜ん、そうなの…。
 
       「一番近いのは緑さんでしょ?それに、あなたを一番好きなのは私」
 
       宥めて、そっと掌を重ねて、絡んだ視線に緑さんの表情が緩んで唇が近づいた…のを見計ら
 
       うのが妻の心得。今後の夫婦生活をスムーズにするための布石。
 
       間に差し込んだ掌でそっと緑さんを押しのけて、にこりと笑う。
 
       「今頃、妻の存在に気づいても遅いわ」
 
       「美月?」
 
       「ホントは黙ってるつもりだったの。一生に一度、あなたと楽しめる新婚旅行を台無しにし
 
        たくなかったから。最初からこぶつきの私をもらってくれた緑さんに感謝して、アスカの
 
        ことは少しだけ忘れていようと思っていたの」
 
       何が言いたいんだとあなたが顔をしかめたのがわかったから、手を引いて部屋を出た。
 
       「どこへ行くんだ」
 
       問いかけには答えない。だだ微笑んで、廊下を進み、エレベータに乗るの。
 
       2階降りて、すぐの角部屋。大きな一部屋。
 
       「美月?」
 
       数回ノックするとしばらく置いて、ほんのり赤い顔をした花ちゃんが現れる。脇には浴衣を
 
       掴んで眠そうに目を擦る秋君。
 
       「あら、もうばれちゃったの?」
 
       驚きで固まる緑さんを一瞥して首を傾げた彼女は、私の腕を取ると陽気に中へと促した。
 
       「さっき薫さんもついたの。青くんの機嫌が良いものだから、気味悪がって余計に萎縮しち
 
        ゃって、おかしいのよ」
 
       くすくす笑う花ちゃんにもう兄の姿は見えていないんじゃないかしら?
 
       締め出しを食らう前にドアの内側に入ることには成功したみたいだけど、緑さん全く事態が
 
       飲み込めてないもの。
 
       2間続きの大きな和室は、果たして宴会の真っ最中だった。
 
       アスカを膝に乗せた青くんは彼女の拙い話に一生懸命耳を傾け、時折額をくっつけんばかり
 
       に同意している。
 
       手酌で飲む薫さんには花ちゃんが寄り添って、大皿から取り分けた料理を渡すと普段はあま
 
       り見られないむつまじさを発揮している。
 
       「みーちゃ…」
 
       精一杯背伸びして抱っこをせがむ秋君を抱き上げた頃、ようやく現実復帰した緑さんが盛大
 
       なため息を吐いた。
 
       広い室内をぐるりと見やって、戻った視線に私を据えると一言。
 
       「君は…全員連れてきたのか?新婚旅行に?」
 
       呆れて、でもどこか安堵と喜びを秘めた声に小さく頷く。
 
       「だって、寂しいじゃない。アスカと離れるなんて初めてだし、いつもお店で一生懸命働い
 
        て、薫さんとだってあまりゆっくりできない花ちゃんにものんびりしてもらいたい。青く
 
        んだって家族旅行は久しぶりでしょ?」
 
       今日一日は2人だけで、でも明日はみんなで旅行を楽しもうと思ったの。
 
       そう言ったら、あなたは嬉しそうに肩を抱いてくれたわね。強く、優しく。
 
       「美月…愛してるよ」
 
       でも、そんな甘い空気は一瞬。
 
       いつもの調子を取り戻した緑さんは青くんからアスカを取り上げ、薫さんを足蹴にすると変
 
       わらぬ尊大さで言い放った。
 
       「家長は俺だ!お前達の好きにさせるものか!!」
 
       結局、お兄さんをやっているのがあなたには一番似合っているのよね。
 
       だから、
 
       「アスカ、あーちゃんといる方がいいのに」
 
       愛娘が漏らした呟きは、一生心にしまっておくわ。
 
 
 
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