25.side秋
 
 
         随分無理をしたと、自分でも思う。
 
         さして良くない成績で、受験まで後一年てとこで、日本最高レベルの大学を受験しよう
 
         って言うんだ、そりゃ今までで一番の無茶をしなきゃ勝てない勝負だろうさ。
 
         でも、決して付き合ってくれなかった彼女が言ったんだ。
 
         『秋くんが受かったら、付き合うわ』
 
         困ったように、ちょっと寂しさも滲ませた笑みを浮かべて、始めて俺に希望の切符をく
 
         れた。
 
         とくれば気合い入れなきゃ男じゃないだろ?
 
         苦手な青叔父に頭を下げ、塾に入り、死にものぐるいで勉強したよ。春ちゃんと同じ目
 
         線になりたい、同じ大学に通いたい、何より甘いあの笑みを手に入れたいから。
 
         10年前の入園式、緊張で堅くなってた俺に春ちゃんは優しく微笑んだんだ。
 
         『手をつないでれば平気だよ』
 
         舞い散る桜と一緒に心臓に刻まれた彼女は、それからずっと不毛な初恋の試練を与え続
 
         けたけど。
 
         今度こそ負けない、絶対、絶対。
 
 
          side春菜
 
         「ホントに、受かっちゃったの…?」
 
         「うん」
 
         燦然と輝く合格通知が、とっても目に痛い。その後で輝く美しくも得意げな顔は、心に
 
         痛いけど。
 
         「だから、約束守ってくれよな」
 
         嬉しそうに言われれば言われるだけ、私の胸はぎゅっと締め付けられて声を出すことさ
 
         え困難になるって秋くんは知らないから。
 
         あなたはあまりに、あたしと違いすぎるのよ。
 
         「なあ?」
 
         「…でも…」
 
         「絶対って、約束しただろ」
 
         少し低くなった声が、彼の中に疑いの目が芽生え始めたことを教えてくれてぴくりと体
 
         が跳ね上がった。
 
         「なあ、春ちゃん。俺、10年待ってるんだぞ」
 
         それは遙か保育園の昔にまで遡る。
 
         秋くんと従姉妹のアスカちゃんは周囲の大人も驚くほどかわいらしい子供だった。
 
         天使みたいな容姿に惑わされたのはもちろん子供も一緒で、手を引いて入園式に臨む役
 
         を仰せつかった私もすごく緊張してた。
 
         「大丈夫?秋くん」
 
         「ううん、恐いよアスカ」
 
         自分を挟んで交わされる会話は萎えていた年上としてのプライドをくすぐるもので、己
 
         を奮い立たせた私は精一杯の笑顔で大して大きさの変わらない少年少女を励ますコトを
 
         決意する。
 
         震える膝を押さえて。
 
         「手をつないでれば平気だよ」
 
         巻き毛の女の子はふわりと柔らかく微笑んでくれた。
 
         ビー玉みたいな目をした男の子はぎゅっと握った手に力を込めて、
 
         「じゃあ、放さないでね?」
 
         と真剣な眼差しをして私を一瞬で虜にした。
 
         そう、10年秋くんで心を一杯にしてきたのは私だって同じなの。
 
         あなたが近づくたび、好きと言われるたび、応えたかった。
 
         『春ちゃん、好きだよ』
 
         『春ちゃん、付き合ってよ』
 
         『春ちゃん、こっちを見て』
 
         キレイなあなた、芸能人なんか目じゃないほど女の子を虜にして、その上優しくて誰に
 
         も面倒見のいいあなた。
 
         二人だけでいるときはまだいいの。誰も私を見ないわ。秋くんの隣りに冴えない服を着
 
         たメガネの女の子がいても誰も気にしないもの。
 
         「あれ、春ちゃん!」
 
         偶然町中で会った彼は、たくさんの素敵な友達に囲まれていた。
 
         真っ直ぐ私に向かって走ってきてくれたのが嬉しかった、でも、恥ずかしかった。
 
         雑誌から出てきたみたいに格好いい秋くんと違って、コートで着ぶくれた不格好な自分。
 
         「すっげ、約束もしてないのに会えるって、運命だと思わん?なあ、このままデートし
 
          ようぜ、デート!」
 
         返事もできずに逃げ出した、あの日のまま私は少しも進歩していない。だから。
 
         「ごめんね、あれは遠回しに断ったつもりだったの。…まさか、秋くんが受かっちゃう
 
          と思わなかったから」
 
         こんなコトになるとは考えなかった私にとって、彼が持ってきた合格通知はまさに想定
 
         外。いいえ、それ以前に受験をしていたことさえ冗談だと思っていたのに。
 
         「それ、俺みたいなバカじゃ、春ちゃんに釣り合わないって言ってるわけ?」
 
         ぎらつく視線に射すくめられて、元々竦んでいた体が一層動かなくなる。自分の部屋な
 
         のに居場所が無くなっていくみたいに心細くなってきて、喉も詰まって、首を振るのが
 
         精一杯で。
 
         「じゃ、ちゃらちゃらしてる男が嫌いだとか?そんなら今から髪染めて、カラコン入れ
 
          る」
 
         まさか!私なんかの為に、そんなことしないで!
 
         慌てて上げた顔にぶつかる真剣な目が、恐い。心の奥底まで全部、見通そうとしてる深
 
         い青の瞳が。
 
         「…違う、秋くんはそのままでいいの。悪いのは、私だもの」
 
         あなたが変わる必要なんて無い、訴えた頬はそのまま秋くんの大きな掌に捕らえられ、
 
         撫でられて柔らかな安心を与えられた。
 
         ゆっくり滑っていく指が、息苦しいほど荒れている心を優しく癒す。
 
         「春ちゃんのどこが悪いんだよ。俺にはちっともわかんない」
 
         耳に届く声は他の誰より私に自信をくれるのだと、始めて知る。
 
         「いいよ、悪いまんまの春ちゃんでいいから、俺にくれよ」
 
         額に、頬に、そして唇に、キスを落とす彼もまた微かに震えて。
 
         「自信、ないの。私、キレイじゃない、一緒にいたら、秋くん恥ずかしいでしょ」
 
         こらえきれず零れた涙を掬いながら、彼は苦笑いに口角をあげた。
 
         「キレイでも汚くても、春ちゃんなら俺は欲しい。恥ずかしいコトなんてないからさ、
 
          頼む」
 
         混じり合う呼吸の隙間、彼の願いはたった一つ。
 
         「俺のモノに、なれよ」
 
         頷く他の術を、私は持たない。
 
 
 
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